食器を洗う行為、特に好きなわけではないものの、タブレットを使うようになってから有意義な時間として認識できるようになった。タブレットと、あと、ワイヤレスイヤホンのおかげで、ドラマとか観ながら作業できる。料理するときは音楽かラジオがいい。食器洗いは視線も意識もあまり移動させなくてよいので、映像ありでぜんぜんいい。
去年、料理研究家を取材する機会があって、その方も普段はタブレットでなにかしら映像を流しているとおっしゃっていた。うちの母はよくラジオをつけていたので、似たようなものかもしれない。
食器洗いといえば、二十代も前半のころ、年上の女性が食器を洗っているときずっと水を流しっぱなしにしていたので、「●●さんってお嬢様ですか」と聞いたことがある。嫌味とかのつもりはまったくなくて、食器を洗うときはあとでまとめてすすぐものと思っていたので、水とか水道代とかを気にすることなく洗う様子に驚いての質問だった。
しかし、文字にして読むと、あらためて、ひどい。自分で思っている以上に、ひどい。最低。謝罪して反省文書いて「ひどいこと言いました」って大きく書いた札をぶらさげて街なかに立っておけ。そう言われても仕方ないくらいひどい。
彼女はお嬢様なんかではなくて、あとで知ったことだけれど、母子家庭だったり、苦労していたり、ということだった。それと水を流しっぱなしにしてしまうこととの相関がどこにあるのか、わからない。まったく関係ないのかもしれない。母子家庭だから、なんだ、それがどうした。それを理由に彼女という人物を規定するつもりか、愚か者め。
この記憶からはっきり導かれるのは、僕が、相手のことをよく知りもしないくせに、不用意な発言をしてしまったうえに、いやらしい同情を持ったりした、ということだけだ。
で、いまだにその一言を思い出してしまう。
別にそれで険悪になったとかではない(と思っている)し、あちらが僕の発言をおぼえているとも思えない(そんなこと思うのもまた傲慢なり)のだけど、まあまあの頻度で思い出しては、その場にしゃがみこみたくなる。食器洗ってるときに思い出すパターンが最多なので、実際にしゃがみこんだりはしない。
他人からチクリと刺された言葉もある。でも僕の場合、自分が不用意に口にしてしまった言葉のほうが、より多く残っている。という悔恨は、ここでもすでに山ほど述べている。毎度のことですみません。
好きな小説の多くに、不用意な発言をかます奴が登場して、「あーあ、言っちゃった」という気持ちで読み進めるわけだけれど、本をとじたあとで「いや、おまえ、言えた義理じゃないから」と自戒するまでがセットになっている。それはもう、その場にしゃがみこむためのコマンドですね。上上下下左右左右BAといっしょ。読んで呆れて閉じて我に返ってしゃがみこむ。僕が最もダメージを受ける自爆攻撃。