怠惰の王様

metayuki
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マンションなんかの駐車場入口にバーとかチェーンとかがあって、居住者の車がやってくるとそれらが上下に動いて出入り可能になる。あれはどういう仕組なのだろう。それぞれの車にゲートの装置と連携する機器が設置されているのだろうか、それともみんなリモコンでも持っているのだろうか、と疑問だったのだけれど、あるとき、その手のマンションに住むことになってリモコンを受け取り、こっちだったか、と納得した。

それから一年ほどが過ぎて、どうもリモコンの反応が鈍い気がしたので管理人に相談したところ、新品と交換してもらった。形もサイズも別物で、だけどゲートはスムーズに開閉されるようになった。つまりはリモコンにも旧型と新型が存在するということで、なにがどう違うのかはわからないけれど、まあいいかと思って、新型を使うようになった。

さて。そんな体験をして、知識も得たので、外を出歩いているときにどこかのマンションやらに車が接近してゲートがあく様を見かけても、「あれはいったいどんな仕組みで」という疑問を持つことはなくなった。あたりまえだ。でもまだちょっとだけ、「俺、あれを不思議に思ってたんだよな」という余韻めいた感覚は残っている。

そういうことは多い、というか、生きているとだいたいそういうことだらけになっていく。疑問といったって、いまは調べる手段も豊富にあるし、疑問だなあ、と思っていることはつまるところ自分の怠惰をカウントしてるようなものである。

でも知らないままにしておきたいこともある。考えてみると、そっちのほうが多いかもしれない。

あの人、どうやって生計立ててるんだろう、という人物も世の中にいて、そういうのも知らないままのほうがおもしろいと思う。思うのだけれど、でも、そういう人の生活についてはやっぱり興味を持ってしまう。興味と疑問と知りたくないの三つ巴の戦いがくりひろげられて、興味と疑問がタッグを組めばよさそうなものを、だいたいその手の戦いは「知りたくない」が勝利を収める。しかるに「知りたくない」というのは表向きの傀儡であって、その背後には「怠惰」の王様が君臨し、糸を引いているのだろう。

なんだろう。スマホを手にする前は、調べないことを怠惰とは思わなかったのに、いまはそう思えてしまう。ほんとに知りたいことと、さほど知りたいわけじゃないことの仕分けが下手なのかもしれない。

@metayuki
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