駅で改札を出るとき、目の前を歩いていた男性がICカードを読み取り機に強く叩きつけていって、その音にびくっとしてしまった。カードか装置か、ひょっとして両方が破損するんじゃないかという勢いだった。
僕はSuicaアプリを利用しているので、改札でもスマホをかざす。スマホだから強く叩きつけることもしないし、なんなら極力接触しないように、微妙に浮かせて通り過ぎる。カードだったころはどうだったろう。もっとぴったりと触れさせていたような気もする。人のふり見て、ではないけれど、あんまり荒っぽい動作はとらないよう注意したい。
などとまた偉そうなことを書いているけれど、僕が今日見かけたあの人だって、普段からそんなではないのかもしれない。考え事をしていたために、つい、力加減を間違ったということもありえる。だとしたら、あのバシンというおおきな音で本人もびびっただろうし、バツの悪い思いをしたのではないか。
それで思い出したことがある。交通事故(原付きを運転しているときに車と接触して右手首の骨が欠けた)のため手術が必要で入院したときの出来事だ。確か二十四歳とかだった。怪我での入院なので食事制限があるわけでもなく、親に頼んでお菓子類を用意してもらっていた。プリングルスのビネガー味が好きだったので、あの筒を何本か備えておいて、空腹になるとばりばりと食べていた。消灯時間を過ぎても枕元のライトをつけて読書に勤しみ、そのときにもプリングルスを食べていたのだけれど、ある晩のこと、ベッドの上で片膝をたてて文庫本を読みながらプリングルスを五、六枚も重ねて口に突っ込んだところで、とつぜん仕切りのカーテンが開けられた。女性看護師が立っていて、僕はドナルドダックの真似をする人みたいに口からポテトチップスの束を出している状態のまま固まった。「中山さん、手術の時間についてなんですけど」とあちらは至って冷静に話をはじめた。話を聞きながらポテチを噛み砕いていいものかわからず、僕はただ首を振ってうなずくしかできなかった。
いま思い出しても恥ずかしい、という話ではない。バツが悪い、というのが最もしっくりくる。消灯時間のあとでお菓子を食べているのは褒められた行為ではないけれど、叱られる事態でもなさそうだったし、実際、そこについては言及がなかった。必要な連絡事項を伝えて、看護師さんはカーテンを閉めて去っていった。僕は同じ姿勢のまま、カーテンが閉じられたあと、できるだけ静かにプリングルスを噛んで、飲み込んだ。ようやく落ち着いたあとで、いま伝えなくちゃいけない話だったのか、という疑問がやってきた。消灯前とか、それか翌朝とかでよくなかったですか。せめてカーテンを開ける前にひとこと声をかけてくれるとか。
どうでもいい情報だけど、一週間ほどの入院期間中に『カラマーゾフの兄弟』上中下巻を読み終えた。手術と入院とわかったとき、即座に決めて、入院前に買いに行った。これ読むならいましかないでしょ、という勢いだった。とてもおもしろかったけど、僕にとっての『カラマーゾフ』はプリングルスの思い出とも結びついてしまって、それはあまりよくない。
右手首には今も手術跡が残っていて、欠けた骨のあたりがたまに疼く。部分麻酔で手術を受けたのだけど、骨片を取り除いたあとに剥き出しの骨をヤスリでごりごりされた感覚も、よく覚えている。
で、なんだっけ。バツが悪い、という話だ。
夜の病院、ベッドの上でパジャマを着て、ちいさなライトは『カラマーゾフ』の文庫本を開き、片膝を立ててプリングルスを頬張ったまま固まった。そう、それは確かにバツの悪い瞬間だったのだけど、その場面を思い出すとき、もうひとつ思うのが、案外絵になるかも、というふざけた感慨だ。レンブラントのタッチで絵画にしてもらいたいくらい。