発売中の雑誌『BRUTUS』がゲーム特集で、表紙が天野喜孝さんの描き下ろしだったから買った。天野さんとゲームといえば、『ファイナルファンタジー』である。
『FF』の第一作が発売されたのは1987年なので、僕が小学6年生のころだ。オープニングの入り方やラスボスの正体など、物語性の強さ(なんてことを小学生のときには思わなかったが)に強く惹かれた。天野さんの絵にも魅了され、書店で氏の作品が表紙に使われている本を買うようになった。夢枕獏とか菊地秀行とか栗本薫とか。もともと本は好きだったけれど、読む数がべらぼうに増えたのは、このあたりからだ。
天野さんの画集とかカレンダーとかも小遣いはたいて買って、一時期、部屋に貼りまくっていた。絵を真似て描いたりもした。ヴァンパイアハンターのサイドストーリーを考えたりもしたし、自分で挿画を用意したりもした。もしあのころにネットがあったら、もっとずっと深みにはまっていたかもしれない。とにかくもう、中学時代の僕は自分の体から抜け出したくてたまらないという日々だったので、物語の世界があってくれて助かった。
時は流れて十数年、勤務先が東京の広尾駅近くにあったときのことだ。通勤時に見覚えのある男性が向こうから歩いてきた。あれ、誰だっけ、有名人だっけ? ちょっと考えて、天野喜孝さんであることに思い至った。いや、でも、自信ないわ。動く天野さん見たことないし。いきなり声をかけても迷惑だろうし。などと迷っているうちにすれちがって、終了。
その後、二、三度、おなじことがあった。僕はとうとう一度も声をかけきれないまま、事務所移転に伴い、そのあたりを歩くこともなくなった。
いまだにあの人物が天野喜孝さんだったかどうか、ほんとうのところはわからない。おなじエリアでよく志茂田景樹さんもお見かけしたけど、志茂田さんはどこから見ても志茂田さんで間違いなかった。
もし声をかける勇気があったら、なにを伝えていたかといえば、ありがとうございますということに尽きる。10代前半というきつい時期を生き延びさせていただいて、心から感謝しています。いきなりそんなこと言われても対処に困るだろうけど、でも、声をかけておけばよかったなと、いまもときどき悔やんでしまう。
しかし、伝えきれなかった感謝を抱えていくのは悪いことじゃない。ありがとうって言いたかったな、言えばよかったな、と思えるのはつまり、世の中にそれだけ優しさがあることの証にも感じられるから。