あっちで話そう

metayuki
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近所の駐車場でいつも停まっている車があり、たいてい、車中で持ち主らしい人物が煙草を喫っている。近隣に喫煙所があるわけでもないので、自分の車を喫煙所がわりに使っているのだろう。

僕は煙草を喫ったことがない。一度だけ、葉巻をひとくち味わったことがあるだけで、あれも「煙草」にはカウントしない。

どうして喫ったことがないのかといえば、身近に喫煙者がいなかったから、だと思う。両親は非喫煙者だった。祖父は父方も母方もけっこうなスモーカーだったと記憶しているけれど、いっしょに暮らしていたわけでもなく、鹿児島滞在中に目の前で喫煙されたことも、あまりなかった。

二十世紀の話、ということを踏まえて書いてしまうけれど、高校時代に喫煙する友人が何人かいた。僕はなんとなく手を伸ばせずにいた。そもそも興味を持てなかったのだと思う。

僕を含め非喫煙者だった男子は、喫煙者の部屋で過ごすときに「禁煙パイポ」をくわえていた。お菓子気分で、あれはよかった。自宅でもしょっちゅうくわえていて、おまえはどうしてパイポをくわえているのかと親に不思議がられたりもした。

大学生になり、地味なサークルに籍だけ置いて、遊ぶ友達もほとんどいない生活を送っていたから、そこにもやはり煙草が入ってくるタイミングがなかった。長縄跳びに混じることなく、ずっとひとりでぴたんぴたんと縄跳びをとんでいるような単調な暮らしだった。

そうこうするうちに就職して、広告制作業は喫煙者の多い世界だったから、そこで何度か「中山は喫わないの?」と質問されたり、勧められたりもしたのだけれど、なんだかいまさら手を伸ばすのもなあ、と思って、断りつづけた。

東京で働いていたころ、オフィスには喫煙室があって、喫煙者はそこで和気あいあいと交流していた。ありきたりな話だけれど、非喫煙者は喫煙者が喫煙する時間を休憩というよりはサボりじゃないかと見ていて、なかには真剣に憤っている人もいた。僕はどうかといえば、好きな音楽を聞きながら仕事してられるので、ほかのことはたいして気にならなかった。

一度、営業さんがかなり無茶な仕事の進め方を僕に押しつけてきたことがあって、さすがにそれはないだろうと、理詰めで反論した。周りが「何事だよ」とこちらに視線を注いでくる事態になり、営業さんが「あっちで話そう」といって喫煙室に僕を誘導した。営業さんはヘビースモーカーだった。まさか煙草くわえて話すつもりじゃないだろうな、と頭に血がのぼっていた僕は、喫煙室に入るやさらに理詰めでこの状況のおかしさを力説した。さすがにあちらも煙草を取り出したりはせず、中山のいいたいことはわかった、と引き下がってくれた。まあ、社内の営業さんが引き下がってくれたところで、その案件は大手代理店からの仕事だったから、結局はその無茶な進行のまま突き進むことになったのだけれど。

なにが言いたいのかというと、喫煙室であんなに理詰め大爆発の怒号が響いたことはないんじゃないか、ということだ。すくなくとも僕は見たことがない。喫煙室は寡黙でいるか、談笑しているか、どちらかの空間というイメージがあった。もしも僕が喫煙者だったら、あのとき、「あっちで話そう」と言われていっしょに喫煙室に入り、煙草を出して火をつけて、それでいくらかクールダウンして、穏やかに話ができたのだろうか。営業さんが求めていたのはそういうことだったんだろう。

その後、その営業さんと仲違いしたりはしなかった。真正面からぶつかったのも、その一度だけだったと思う。彼はいまもヘビースモーカーだろうか。奥さんのご両親と同居しているという話だったけれど、家の中では場所がなくて、彼も車を喫煙所がわりにしたりしていないだろうか。

@metayuki
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