すこし前のことになるけれど、ゲーム『ペルソナ3リロード』(以下、P3R)をクリアした。
『ペルソナ』シリーズは5まで出ていて、3からカレンダーシステムが採用されており、高校生活の1年間を4月から3月まで、カレンダーに沿って過ごしていく。『P3R』は3のリメイクで、ゲーム内のカレンダーで3月某日にエンディングを迎える。その日は「約束の日」と呼ばれ、できれば現実世界のその日までにクリアしたかったけれど、ちょっと遅れた。
さて、『P3R』。先に書いたようにリメイク作品であって、原作というべき『ペルソナ3』は2006年に発売されている。実に18年前。リメイクにあたってはグラフィックもシステムも大幅にアレンジされ、ゲームテンポも現代風になっている。すばらしい。
とはいえ、今回プレイしていていちばん心打たれたのは音楽だった。もともとペルソナシリーズは音楽の評価も高く、シリーズの楽曲でのライブが何度も開催されているくらいだ。『ペルソナ3』の楽曲も人気があって、だけど僕が『P3R』をプレイしていて感じたのは、こんなにゲームとの一体感があっただろうか、という驚きだった。過去作では音楽は衣服のようなところで鳴っていて、ゲーム本編のひとつ外側で鳴っている気がして、それはBGMという印象の強さでもあるのだけれど、『P3R』では本編と音楽が同じ位置にあるように聞こえていた。
『P3R』はジャンルとしてはRPGで、折々にレベル上げが必要になり、ほかのゲームだとそういうときは別のラジオを流していたりもするのだけれど、今回はずっとゲーム内の音楽を聞いていた。自分としては、かなり画期的なできごとで、そんなのそれこそ20年ぶりとかの体験だよ。
ストーリーは基本的にオリジナルのままで、細部とかサイドストーリー的なところではかなり手を加えてある。主人公たちが高校生なので、全体の印象としてはジュブナイルものではあるけれど、この歳になってプレイしてみると、当然ながら共感する人物が違ってくる。単純な話、親世代の人々のことを考えてしまう。「考えてしまう」というのは、親世代、大人世代の掘り下げはあまりなされていないからで、重要人物の決断なんかについては言及もあるけれど、その多くは回想的なところに留められているし、なんなら真意を口にすることなく物語から退場していったりもする。こちらとしては想像するしかない。それはごくごく自然な流れとして、自分がいなくなったあとの子供たち、という視点からの考察になる。
おもしろいもので、自分の子供たち、あるいは自分よりも若い人たちのことを考えるのと同様に、自分の親たち世代がどんな思いで生きてきたのか、ということにも想像が働くようになった。歳も重ねてみるものである。
というわけで、オリジナル『ペルソナ3』のサントラを聞きながらこのテキストを書いた。