姑息道路

metayuki
·

ここしばらく本棚がたいへんなことになっていて、整理が追いついていない。整理を放棄している、といってもいい。古くから持っている本は定位置にいるのだけれど、ここ一年で増えた本についてはめちゃくちゃ。あれのあのところを読み返したい、と思ったときには、まず本体を探すところからスタートしなくてはならない。

でもな、本を探しているときに目当てではない本の題名が目に飛び込んできて、あれも読みたい、これも読み返したい、となるの好きなんだよ。

はい出た。片付けのできない人間の言い訳。

最近はあまり見聞きしなくなったけど、僕が幼いころから若いころにかけては「辞書を引け」とリアルに言われていて、その理由として「周辺に書かれた言葉についても知るきっかけになるから」というのがあった。で、僕はそのメリットを信じていた。辞書を引くのが好きだった。それで語彙が増えたか、知識はどうだ、と自問してみても、よくわからない。なにしろ自分の経験なので、ほかと比較しようがないのだ。なんならいまでも辞書を引くのは好きだ。スマホに辞書アプリを入れてあって、なにかというとそいつで検索するけど、そのときだって平仮名でおなじ文字列の言葉が候補にあがってくるのだから、ついでにそちらものぞいてみることはできる。楽しい。

辞書はきちんと整理された情報で、乱れた本棚といっしょにしてはいけない。整頓された本棚だって、背表紙を眺めれば読みたい、再読したい本がいくらでも見つかるのだから。

ずいぶん前のことだけど、日本のどこかの工場で、工具を定位置に置くよう定めたという事例が称賛されており、海外の企業が見学にくるほどだ、といったような報道をテレビで見かけた。工具を定位置に置いておけば無駄な時間を省くことができる、以前は工具を探すのにこれだけの時間を割いていた、といったようなことを工場の方が伝えていた。そう言われると反省しかない。

ところで僕の本棚には一列だけ「スタメン枠」があって、何度でも読み返したい作品が並んでいる。年に一、二冊は入れ替わるけれど、大半はずっとそこに鎮座している。去年はサリー・ルーニーの『ノーマル・ピープル』がスタメン入りした。なにが外れたかは内緒なのだ。

などと、もっともらしい話題を持ってきて、「俺は本棚のすべてをカオスにしているわけじゃないぞ。必要な箇所はきちんと整頓しているんだ」と言い立てるの、姑息だわ、と我ながら思う。そして「姑息」という言葉から「姑息道路」というくだらない駄洒落を思いつき、姑息な人間どもが転がるでかい鉄球から逃れるように全力で走る「姑息道路」という地獄が追加されたんだけど、どう思う? とくだらない自問を書いて、日曜日もそろそろ夜になります。

辞書を確かめてみると「姑息」とは「根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせにする・こと(さま)」とあり、「現代では誤って「卑怯である」という意味に使われることが多い」とも書かれていた。俺、誤ってた! 「卑怯」のニュアンスで使ってた。正しい用法によれば、「姑息道路」とは卑怯者たちの落ちる地獄ではなく、高速道路の改修のため一時的に設けられる仮の道路のことを指すのです。嘘です、指しません、ごめんなさい。

@metayuki
書きたいこと好きに書いてるだけの生き物。ときどき創作物が混入します。ハッシュタグでご確認ください。