夢のちょぼ焼き

metayuki
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子がクラブ活動でチョコやらマシュマロやらを使うので買いに行かねば、という話になり、夕方のスーパーまで足を伸ばしたところ、お惣菜の値引きが始まる頃合いで、人気の和惣菜セット2割引をひとつ購入した。ひじきと、きんぴらと、ほうれん草の胡麻和えと、ピリ辛こんにゃく的なものが入っていた。

自宅には妻が作ってくれた作り置きの品もあったので、夕飯はそれに豚バラ肉を焼いて完成。あとキャベツの千切りを用意した。まあまあ品数が豊かで、やってやったぜ感も味わえた。たいしたことやっちゃいないんだけど。

それでなぜだか思い出したのが、僕の通っていた中学校の近くにあった「ちょぼ焼き」の店のことだ。バスが通る道に面した店舗で、とても古い平屋の建物だった。たしか横長の看板があって「ちょぼ焼き」と大きな筆文字で書かれていたように記憶している。

当時、というのは僕が中学生だったころだから昭和の終わりから平成の始めにかけて、1988年から91年あたりなわけだけれど、ほかで「ちょぼ焼き」なるものを見かけたことはなかったし、テレビや雑誌でもその名を見ることはなかったので、いったいそれがどんな品なのか、長らく謎だった。店の表には写真の類もなくて、日中は客が出入りしている様子もない。「営業中」とか「準備中」の札も見た記憶がないけれど、シャッターが降りているわけではない。ガラス戸があって、中もうっすら見えるものの、ラーメン屋とかみたいに客席があるようにも見えず、いったいなんなんだろうなと疑問に思っていた。中学の友人に聞いても確かな答えを持っているやつがいなくて、「お好み焼きみたいなやつじゃないの」という予想が返ってくるくらいだった。

話をちょっと迂回させるけれど、中学時代の僕はお好み焼きもろくに食べたことがなかった。自宅でお好み焼きをつくったり、つくってもらったりしたおぼえも、ない。ゼロではないのだろうけれど、我が家の食文化には含まれていないタイプのメニューだった。お好み焼きといえば高校時代、街なかの店で部活の先輩たちとか友人たちと食べるようになるのを待たなくてはならなかった。

そのような次第で「ちょぼ焼き」が「お好み焼きみたいなものではないか」と言われても、僕にはうまくイメージできないままだった。中学校のすぐ近くにその店舗があったので、そんなに気になるなら食べに行けばいいではないかと思われるかもしれないが、なにせ学校に近いので放課後に立ち寄るわけにもいかないし、自転車通学だった僕が一度帰宅したあとにまたそこまで出張ってくるのは面倒だし、休日にわざわざ学校近くまで来るのも面倒だったから、卒業までついに「ちょぼ焼き」を食べる機会は巡ってこなかった。

で、卒業したあとに、友人たちに誘われて、初めて「ちょぼ焼き」の店に入った。ガラスの引き戸を開けると奥からおばあさんが出てきた。入ってすぐのところにはなにもなくて、奥へと案内された。靴を脱いで、畳敷きの部屋に通された。和室の向こうには庭があった。お店、という雰囲気はまったくなくて、田舎の親戚の家におじゃましてるみたいだった。和室は広くて、10畳くらいはあったんじゃないだろうか。背の低い机が置かれていて、道路の方からも庭の方からも光が届かなくて、室内は薄暗かった。なのにあかりをつけてももらえず、ほかに客もおらず、僕らは所在なく待っていた。注文を済ませ、おそらく「ちょぼ焼き」を食べたのだろうけれど、どんな見た目だったのか、味はどうだったのか、ちっとも覚えていない。

ここまで書いてから「ちょぼ焼き」と、僕が行ったであろうお店について調べてみた。いまはもうなくなっているようで、2010年ごろのブログ記事などが引っかかった。写真付きで紹介されているブログを見ると、店は普通に店っぽい造りで、カウンター席があったりして、目の前で「ちょぼ焼き」を焼いてくれてもいたようだ。

それは僕の行った店とずいぶん違うじゃないか。もっと昔は奥の座敷で提供していた、ということだろうか。それともあれは夢で見た記憶なんだろうか。たしかにあの和室の空気感は、幼いころにお世話になったおばあさんの部屋にそっくりだった。空気感や薄暗さが、ほんとうによく似ていた。もしも夢ならば、僕は一度もあの「ちょぼ焼き」を食べていないということになる。食事の見た目も味もおぼえていないことも、納得できる。いっしょに行った友人たちが誰だったのかも思い出せない。だけど夢とも思えないくらい、リアルな記憶だ。狸や狐に化かされた、とは考えにくいものの、だけどひょっとしたら、ひょっとするのではないか。

@metayuki
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