ルーニー・マーラ VS ダテメガネ

metayuki
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だいたい本名で生きているので、へたなことが言えない。かといって、うまいこと言えるほどの才覚もない。

お仕事でコラムを書いたりするのだけど、そのうちのひとつは無記名での執筆なので普段と異なる口調を心がけ、別人格を降ろすようにしている。イタコスタイル。日本の企業の、日本の伝統的な食品についてのコラムなのだけれど、その記事を書くときにはアメリカの女性俳優であるルーニー・マーラになる。いや、ルーニー・マーラは日本の食品についてあれこれ語ったりしないし、ルーニー・マーラになるのがどんな感じなのかもよくわからない。俺はこれからルーニー・マーラ、と思い込む。自分でない誰かに意識をチューニングするのだ。

記事にルーニー・マーラを感じる人は皆無だけど、自分ではそのコラムシリーズの奥に彼女の存在を感じている。などというのは嘘だけど、でっちあげのルーニー・マーラに憑依してもらった俺の書いた文章であることはちゃんとわかる。二重三重に俺じゃない、というややこしさに、ほっとする。

昔から文章を読んだり書いたりするのが好きで、文章を書くのに疲れて気分転換にべつの文章を書いたりするのが、いつからか日常茶飯事だった。文章は自分の手で書かれるものだけど、書いたそばから文字になって俺じゃないなにかになるので自分じゃないのだと思える。

自己嫌悪がひどいかといえば、そんなこともないのだけれど、自分でいるのは落ち着かない。本を読んでいるあいだ、文章を書いているあいだ、ちょっとだけでも自分を留守にできるのは、だから、呼吸みたいなものだ。

中学入学してすぐのころ、僕はバドミントン部に入部届を出した。いまとなってはどうしてそんなことしたのか、よくわからない。部活に入れば中学生活が楽しくなるかもと勘違いしたような気はする。光GENJIのアルバムを聞いて、自転車通学にさえ夢を見たような幼さだった。

なのに一度も部活動に参加しないまま、行くのが嫌になった。入部届を撤回できないだろうかと友人にぼやくと、彼が取り戻してきてくれる、ということになった。僕のほうからそうお願いしたかもしれない。記憶が曖昧だけど、そっちの可能性のほうが濃厚だ。書き直そう。入部届を顧問から取り返してきてほしいとお願いした。友人はその頼みを聞いてくれて職員室へ行き、僕のかわりにちょっと怒られてきてくれた。

友人はTという苗字で、小学校時代には違う苗字だった。家が近かったので、なんどか遊びに行ったことがある。苗字が変わったのは祖父母だか親戚だかの養子になったとかなんとか、よくわからない話だった。Tは痩せ型で、足が速く、ひょうきんで、だいたいいつも笑っていた。姉がふたりいて、だけど苗字が変わったあとはいっしょに暮らさなくなったというような話も聞いた。よく晴れた午後にTの家でファミコン版『アルゴスの戦士』をクリアしたことを、よくおぼえてる。あれはいい時間だった。

Tとは別の高校に進み、連絡もとらなくなった。

僕が就職して、仕事でとあるメガネ店を訪れると、そこでTが働いていた、ということがあった。ほとんど10年ぶりの再会で、Tはメガネをかけていた。「これダテメガネ」とTはこっそり教えてくれた。メガネ屋なのでメガネをかけなくてはならないのだという話だった。見た目は似合っていなくもないのだけれど、ぜんぜん彼らしくないと僕は思った。Tは相変わらずにこにこと笑顔を保っていた。

Tの本心を知ることはできないのだけど、思い返してみると彼もなんだか自分であることに据わりの悪さをおぼえていたように思える。いつも笑っているのは、そうしないと息苦しくなるからだったんじゃないだろうか。

その後、メガネ店の前を通りかかったときにTが働いていないか、ちらりと覗くことはあったけれど、ひさしぶりに遊ぼうぜ、とはならなかった。僕が地元を離れたことも一因だろうけれど、そうでなくても、旧交を温めるというふうにはならなかっただろう。Tがどう考えていたかはわからないが、僕にしてみれば、お互い、昔の関係を再構築するつもりにはなれなかった、そういうことだと理解している。そのころ僕はどうにかこうにか文章を書くことを仕事にできていたし、Tも仕事に就いて自分ではない人物になろうとしていた。ダテメガネという陳腐なアイテムだけど、ルーニー・マーラにくらべれば確かな方法だ。

新しいアカウントをつくるにあたってアカウント名を考えたときに、そんなことを思い出した。だれかとつながるためにSNSが、っていうけど、ほんとは誰も自分じゃない余白が欲しいんだよ、きっと。

@metayuki
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