家族でドライブなんて

metayuki
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広告関連の授業で、20年ほど前のステップワゴンの広告をもとに、ターゲットや目的を分析し、完成品から逆算する形でテーマやコンセプトについても学生たちに考えてもらった。そうして導き出したテーマ、コンセプトに基づいて、こんどは「自分だったらどう表現するか」、ビジュアル案を提出してもらった。

20年前の広告はオブラディ・オブラダを使ったCMが流れていたころのもので、キャッチコピーは「こどもといっしょにどこいこう」だった。ゆえに、学生たちが考えた表現案の多くが「家族で、車で、旅に出よう」というものになった。正しい。

だけどあとになって、こうも思った。

家族で、車で、旅に出る、という人がいったいどれくらいいるのだろうか。

自分の経験を振り返ってみると、車で移動することの楽しさは、なかった。幼いころはよく登山に連れていかれていたので、山までの往復は車での移動だったはずなのに、さて、記憶がない。

家族で車移動といえば、熊本から、両親の故郷である鹿児島までの移動が強烈に思い出される。当時はまだ高速道路もつながっていなくて、片道5時間かかった。途中、山道で、車酔いしたことも何度かあった。とにかく暇で、辛い道のりで、旅気分なんて味わえなかった。

それなのに「ファミリーカーでドライブ」とか「ファミリーカーで旅」というイメージがスムーズに思い描けるのは、メディアが記憶に上書きでもしていったからなのだろう。そうそう、こういうことあるよね、と、つい思ってしまう。で、ちょっと考えてみると「実際にはそんなことなかったぞ」と気づいて、ちょっと怖くなったりする。記憶ってなんなんだ、と。

ひとつ、ふたつ、車での旅にまつわる思い出も、ないわけじゃない。思い出したぞ。あれは僕が小学校低学年のころ、家族で山口県に赴いた。たしか、父がマラソン大会に参加するとか、そういった理由があった。ホテルに泊まることにわくわくしていた。それから、遠縁の親戚がそのあたりに住んでいるとかで、会って、挨拶をした。僕と同年代の女の子がいて、親戚といわれても信じられない気持ちだったような、曖昧な記憶がある。その旅行でちゃんとおぼえているのは、夕飯をレストランで食べたことだ。天井が高くて、ソファがふかふかとして、照明は薄暗く、この時間が終わらなければいいなと強く願った。

もうひとつ思い出したのは、伯父の運転する車で、従兄弟たちといっしょに、冬の雪の降るなか、鯛生金山に行った日のことだ。なぜそこに行ったのか、前後の流れはまったくおぼえていない。窓の外が雪景色で、カーステレオから森進一の歌う「冬のリヴィエラ」が流れていた。「冬のリヴィエラ」は好きな曲だけれども、その記憶は、延々とループする悪夢を思わせる。猛吹雪のなかゆっくりと走る車のなかにいて、外に出ることはできず、いつまでも森進一が歌っている。サイレントヒルみたいだ。

こどもといっしょにどこいくにしても、猛吹雪の中の運転は避けたい。夜のレストランは行ってもいいな。おなかすいてきた。

@metayuki
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