息継ぎ

metayuki
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 年の瀬を迎えると、なぜだか朋恵のことを思い出すようになった。地元を離れて長い由紀恵は、高校時代の同級生である朋恵の死を、遅れて知った。高校のころにはよく遊んだし、当時の恋人を連れてダブルデートもした。連絡先を交換し、関西の大学に進んだ由紀恵のアパートを朋恵が訪ねてきて京都旅行につきあったりもした。当時、でまわりだしたところだったPHSの番号も教え合っていたし、年賀状のやりとりも三十歳くらいまではあった。なんとなく疎遠になってから由紀恵は結婚し、息子をふたり設けた。実家と折り合いが悪かったので帰省する機会もなく、朋恵のその後についてもほとんど知らないままに生きてきた。

 大晦日の夜、高校三年の息子は自分の部屋で勉強に打ち込んで、高校一年の息子は友達と初詣に行くと言って出かけてしまっていた。由紀恵は紅白をつけたままスマホでどうでもいい動画を渡り歩き、それにもつかれてみかんを手に取った。朋恵はこのみかんも食べられないのだ。そう考えてしまって、みじかく息を吐いた。いちいち考えるのはどうしたなのだろう。朋恵はもう何にもできないし、何にも思えない、感じられない。ぜんぶひっくるめてしまえば簡単な話なのに、無印の下着の留め方が変わったことも、夕飯に焼いたステーキ肉がちょっと焦げたことも、上の階の住人がリフォームを始めたことも、その日はいちいち朋恵と繋げて考えてしまった。

 一年を振り返ったりすると、もう、どうしようもない。たいした変化のあるわけでもないのに、寄席で大笑いしたことや、勤務先の後輩が市会議員の選挙で落選したことや、道端にヴィトンのハンドバッグが落ちていて何かの罠みたいに思えて拾わず避けて歩いたことなどが思い返されては、朋恵にはそういうことも起きないんだと考えた。

 私は先に死んだ友人をダシに使いたいだけなのかもしれない。そうも思った。意地の悪い解釈だけれど、そういう側面があることは否定できない。私だって生きてられないよ、離婚して、息子ふたりを必死になってさ。別れた夫にはこないだ新しい子が生まれたってさ、三人目だって、あいつ、それでこっちに払う金がないとか言ってんの、どう思う? 朋恵は黙っている。返事をくれない。高校時代に好きだった歌手が、しわの増えた顔で昔の曲を歌っている。感心する。朋恵とカラオケでめちゃくちゃな合唱でがなりたてた曲だ。まさかこんな歳になってまでこの人やこの歌に励まされるとか思わなかったよ。

 食器を片付けて、受験生の息子のためにカップ麺のそばを用意した。部屋へ運んでやると、「休憩中」と先手を打つ声が聞こえた。机に両足をのせて、スマホを触っていた。

 自分のぶんのそばも用意はしておいたけれど、胃もたれしそうで、食べるのはよした。テレビでは除夜の鐘が映し出されていた。朋恵にも子供がいたと聞いた。あんたさ、なんでさ、なんでさ。

 その先の言葉は、頭の中でも言い出せなかった。私も頑張った。今年も、来年も。どこまでもつかわからないけど。あんたを悪くいうつもりもないけど、ただ、残念ではあるんだよね。年越しそばを食べるのもきついって、どうする?

 LINEの通知がきて、ひらいてみると友人から新年の挨拶だった。

 少し早いけどあけまして

 という一文の後でスタンプが迫り上がってきた。筋斗雲に乗った猪八戒のイラストの上に「おめでちょ」という文字があった。由紀恵は思わず吹き出した。なにこれ、こんなスタンプ買う人いるわけ? いるか、いるわ、ここにいる。

 手持ちのスタンプを確かめて、すべてがつまらなかったので、由紀恵は新しいスタンプを吟味して購入して友人に送った。ついでに他の友人たちにも送った。そうそう、こういう感覚でいいんだ、これがあればなんとかなる。

 ついでに息子たちにも送った。二人とも同じ呆れ顔のスタンプを送り返してきて、それが由紀恵は嬉しかった。

@metayuki
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