感情の縮小

metayuki
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授業で学生たちに「アンケート」を作成してもらった。これは消費者のインサイトを知るための取り組みで、アンケートの実施にあたっては事前に「仮説」を考えなくてはならない。その仮説がどの程度、妥当なのか、どの程度、ニーズからはずれているのか、といったあたりを検証するためのツールがアンケートである。ということを実践的に学ぶのが目的だった。

今回は2グループにわかれて、別々のテーマについてのアンケートをつくってもらった。議論が盛り上がって、予定していた時間よりも長めに取り組んでもらった。教える側としては、その「議論が盛り上がって」いるところが何よりも学びであると思えて嬉しかった。

さて、そうやってアンケートの設問が完成し、双方のチームが今度は「回答者」として相手方のチームのアンケートに答えていった。どちらのアンケートにも自由回答の設問があったのだけれど、そこのところをしっかりと書いた学生はほとんどいなかった。アンケートを用意するのにあれだけの熱量と時間をかけたのに、回答する側にまわるとこんなにあっさり終えるものかと思い、でもすぐに、そんなもんだよな、と思い直した。

実際の仕事でアンケート関係の業務に携わったあと、僕はYouTubeで表示されるアンケートにいちいちちゃんと回答していた。いまでも気が向いたら回答するようにしている。たいした手間ではないし、そのアンケートを考案した人がいるのだと思えばこそだった。

これから先は、あるいはもうすでに、その手のアンケート設問もAI任せになっているかもしれない。だから「これをつくった人がいる」という感傷めいた認知は取っ払ってしまってもかまわないのだろうか。

でもさ、人の薄情さというか、自分が苦労しているわけでもないことに対するクールさっていうのは確実にあって、対岸の火事(という言葉もこのごろは見聞きしなくなった)について関心を示さないのなら、AIの感情のなさをあれこれ考慮するのもおかしな話かもしれない。

そういえばAIに感情をもたせるべきか、みたいな記事を読んだけど、あれもちょっとちぐはぐな気がする。人のほうが感情を減らしていくのでは、と、批判的な意味でなく、そう思う、若い方々を見ていると。

@metayuki
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