映画の予告編が大好きで、毎日のようになにかしら見ている。YouTubeさまさまである。
映画館で観る予告編も大好きで、世間的には「本編始まるまで長すぎ」という批判の声もあるけれど、僕はもっとたくさん予告を流してほしいくらいだ。
なにがそんなに好きなのかというと、どんな作品なのか想像するのが楽しい。たまらなく、楽しい。アクションでも、サスペンスでも、ラブストーリーでも、ファミリードラマでも、わけへだてなく楽しい。特に映画館でかかる作品というのは、誰も片手間でつくってないから好き。消化試合みたいな境遇で生まれる作品もあろうけれど、それだって誰かが真剣にやっているから形になるのであって、魂ゼロでスクリーンにたどりつけるなんてことはない。
おぼえているかぎりいちばん古い「予告で興奮した」記憶は、『ゴーストバスターズ』だ。第一作で、公開が1984年12月なので、小学3年生のときだろう。何を観に行ったときに予告を目にしたのかまではおぼえていない。公開日が待ち遠しくて仕方なかった。どんな物語になるのか想像をふくらませた。いよいよ公開となって劇場へ連れていってもらって観賞した本編は、幼い妄想を軽く超えるくらいにおもしろかった。
おなじくらい印象に残っているのが『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』を観に行ったときで、2と3が並行して撮影されていることは知っていたけれど、まさか2の最後に3の予告が流れるとは思わず、やはりこれもとても興奮した。
ときどき「予告詐欺」という言葉を見かける。予告のイメージと本編が違う、というやつ。そういうこともあるとは思うけど、詐欺は言い過ぎじゃなかろうかというのが僕の意見で、ま、そのへんは個人的好みも関わる話なのでパス。
いや、パスしちゃ駄目か。
本編と予告でトーンがまるで違う場合には、詐欺の誹りも免れないだろう。それはいくらなんでも、と思う気持ちはわかる。でも実際のところそこまで乖離した予告はあんまりない。(ひとつ、ふたつ、思いつくけど、盛大に「思ってたのと違う」ところまで行ってくれてればむしろ好きになるので、「詐欺」と批難する気持ちにもならない)
うーむ。あらためて考えてみても、「予告詐欺」と思うような経験がない。あー、ディズニーとかのアニメ作品は予告観て満足しちゃって本編観る気になれないことが多いので、そっちのほうが僕にとっては問題だ。本編を観ても「うん、まあ、はい」という気持ちに落ち着いてしまう。予告無しで観たかったよ、という経験は、だから、多々ある。
予告より本編のほうがずっとよかった。このパターンは幸せ。近いところでいうと『THE FIRST SLAM DUNK』がそうだった。正直、予告(というかティーザー)を観たときにはぜんぜん期待してなかった。映像が軽い(重力が感じられない、見えない、という意味で)気がしていた。これは本当にあとで反省した。オープニングですべてがひっくりかえった。あの映像が入るだけで、あとの見え方がまったく違ったものになった。すみませんでした。ほんとうに申し訳ありませんでした。という謝罪の気持ちでいっぱいになった。
話は最初に戻るけど、予告編を楽しむ秘訣は、情報を追わないことだと思う。なので海外のサイトで、自分の知らない言語の映画作品の予告を観るのがいい。言葉もわからない、役者も知らない、そんな映像の断片から物語を想像する。
これ、あれだな、子供のころに書店でずっと背表紙眺めてたのといっしょだ。題名だけで本編を想像するの。映画も本も全部を鑑賞することは不可能なので、予告とか題名で楽しむのはタイパがいいのかもしれない。創作物を楽しむのにタイパなどくそくらえですが。