若い頃は旅先でCDを買うようにしていた。観光したり写真を撮ったりもしたけれど、音楽がいちばんあとまで残ると思っていた。自分のためのお土産を選んで買うのが難しいというのも理由のひとつで、いかにもな記念品とか名産品とかご当地キャラとかは、買って帰ってもそのあとどうすればいいのか悩む気がして、手が伸びなかった。
でも、あれは買っておけばよかったなと、ずっと後悔している品がある。
学生のころ、友人とギリシャを訪れた。アテネのユースホステルに一泊だけ予約を入れ、あとは適当に動こうという貧乏旅行だった。二日目に思いつきでミコノス島に渡った。シーズンではなかったからか、船はがらんと空いていて、港につくと宿の呼び込みの人たちが待ち構えていた。うちに泊まれ、いやうちに、と声をかけてくる。俺たち金ないので、というと、いくらなら出せるんだ、と聞かれ、互いに拙い英語で交渉して、その日の宿を決めた。
白い石造りの建物が斜面に並び、あたたかな風とひろすぎる空がどこまでも心地良い島だった。案内された部屋は高台の上に位置しており、到着早々、午睡を楽しんだ。こんな評価は失礼かもしれないけれど、ミコノス島ほど気持ちよく昼寝できる場所はない。
夜になると島はオレンジ色の照明があちこちに灯り、昼間よりも多くの人が出歩いていた。日中は眠っていたに違いない旅行客が出てきたのだ。
適当に入った食堂でおいしい料理を食べ、爆音で音楽を流しているクラブのようなところに吸い込まれていった僕らはお酒を一、二杯飲んだ。スマホどころかネットもろくに整備されていない時代のことなので、どこへ行って、なにをするのか、ほとんど行き当たりばったりの旅だった。
にぎわう夜の島を、どんなふうに歩いたのか、僕らはギャラリーのような店に足を踏み入れていた。モダンアートの絵画や彫像なんかが雑然と並べられていて、そのうちのひとつの作品に、僕は強烈に心惹かれた。10cm四方ほどのちいさなイラストが木枠の額に収められていた。鮮烈な赤が使われた、なにが描かれているのかよくわらかない、だけど魅力的な作品だった。
店員が近づいてきて「それ気に入った? レッチリのジャケットにも使われてるアーティストの作品だよ」というようなことを教えてくれた。価格は2〜3万円だったと思う。アートと考えれば安い部類かもしれないが、当時の僕にとっては高額だった。店員は「クレジット持ってないの? 買ったほうがいいよ、これは一点ものだし、すごく価値があるから」と営業の言葉を並べていった。踏ん切りをつけきれない僕に対して、店員が最後にぶつけてきたのは「あなた旅行できてるんでしょ。二度とこんな機会はないんだよ」という言葉だった。
結局、その作品どころか、なにも買わずに店を出た。そのときには、それほどおおきな後悔を持っていなかった。まあ仕方ない、そう思えていた。
だけどそれからどこへ旅行しても、あの買い逃したイラストほど、強烈に惹かれるものに出会ったことがない。もちろんそれは、買えなかった、手に入れられなかった、という印象が思い出を思い出として美化させているせいかもしれない。
後年、両親とともに金沢へ旅行した際、立ち寄った雑貨店で母が素敵なじょうろを見つけた。しかし旅先でじょうろなんて買うだろうか、と迷う母に向けて僕が「二度とこんな機会はないんだよ」と背中を押したのは言うまでもない。