飲んだ帰り

metayuki
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子供のころ、月に一度は居酒屋に行っていた。行きつけがあったのだ。もちろん親の。

個人情報を開陳する。僕の父は四人兄弟で、兄ひとり、妹ふたりがいる。兄家族も同じ小学校の校区内に暮らしていて、僕と同世代の従兄弟もいた。僕から見れば「おじさん一家」ということになる。

自宅の近さから、月に一度くらいの頻度でいっしょに夕飯を食べる機会があった。おじさんの家の近くにある居酒屋か中華料理屋に行って、わいわい食事を楽しむ。その時間がすごく好きだった。

子供ながらに、居酒屋のメニューに好みの品があって、店に入ると「いつもの」って感じで注文するのも楽しかった。座敷のテーブルに料理がつぎつぎと並んでいくのも好きだった。お店のオーナーであるおばちゃんがときどきやってきては、大人たちで楽しそうに談笑しているのも、ほっとする光景だった。

そのときの経験が根っこにあるせいか、いまもときどき、居酒屋で並ぶようなメニューを自宅でつくることがある。疲れているときにかぎって、なにをつくっているのかよくわからないまま、品数が多くなってしまうことがときどきあるのだけれど、そのときつくるのも居酒屋メニューっぽいラインナップになりがちだ。

土曜の夜に居酒屋へ行くことが多かった。子供たちは午後9時あたりで先に引き上げて、おじさんの家でテレビを観たりゲームをしたりして過ごしていた。午後10時過ぎくらいに大人たちも戻ってきて、それから夜の暗い道を車で帰っていくのだけれど、そのときのふわっとしたさみしさは独特だった。

後年、というのはつまり僕が大人になってから、ということなのだけれど、楽しくお酒を飲んだあとに自宅へ戻っていくときの空気が、子供のころに感じていた「ふわっとしたさみしさ」に似ていることを知った。放課後の帰り道ほど日常ではなく、送別会ほどのスペシャル感はなく、あとになって思い出して、あれも特別な時間だったんだな、と気づかされそうな感じ。

親戚たちと会う機会もめっきりと減ってしまった。みな、それぞれの生活があり、家庭があり、問題がある。歳が近いので友達みたいな関係でいたけれど、このくらいの年齢になると、幸せなことよりもそうでないことで顔を合わせることになりそうで、想像するだけでしんみりしてしまう。なにがあったというわけでもないのに。

@metayuki
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