姉の誕生日について考えていて、いつだったか、自分が周回遅れのランナーみたいな気分になる、といった文章をつづったことを思い出した。
姉とは2歳差で、姉弟で生きてきた。当然、姉のほうがあれもこれも先を進んでいて、弟である僕はいかにも年下らしく要領よく生きてきた、とよく言われる。自分ではわからない。わかりませんよね、弟妹のみなさん。しかし、いくつかの局面で姉を参考にしてきたこともまちがいなくて、要領がいいというよりは、恩恵にあずかった、といったところだ。どうもすんません、えへへ、と、卑屈な話し方の人物を演じたくなる。
僕は姉と同じ高校に入り、姉のいる吹奏楽部に入部した。姉としては迷惑きわまりない展開だったろうけれど、僕は僕で吹奏楽部に入る理由があった。周回遅れのランナーという感覚は、部活での時間で最大化されたように思う。
もしも自分が女子だったなら、どうなっていただろうか。そんな「もしも」は考えたところで詮無きことなのだけれど、でもまあ、べつの高校に行ってたんじゃないかな、とかは想像できる。
そういえば僕は昔から「姉がいます」というと「そんな感じするー」と言われてきた。どんな感じだよ、といちいち内心で舌打ちをかましていたけれど、でもまあ、わかる、わかりますよ。
中学1年生の秋ごろだったか。放課後、教室で僕はひとりで残って、なにかの作業をしていた。ほかに女子グループが一組、教室の後方であつまっておしゃべりを楽しんでいた。僕が黒板の前を通りかかったとき、女子グループのひとりが「中山くん、黒板、消しといて」と言ってきた。彼女はその日の日直で、黒板をきれいにするのは日直の仕事だった。僕はとくに疑問も持たず「うん」とこたえて黒板消しを手にとり、そこに書かれていた文字を消していった。すると教室後方から笑い声が聞こえた。女子たちがみんなで笑っていて、日直の子がこう言った。
「ね、ぜったい文句言わずに消すって言ったでしょ」
それが「姉がいる」雰囲気なのかどうか確証はないものの、そういうところかな、と考えるようになった。女性の頼みに嫌な顔ひとつせず応じる男子というのは、当時、珍しかったかもしれない。
ひょっとすると僕はそのとき馬鹿にされていただけかもしれず、彼女らに笑われた時点で怒って教室を出ていくのが普通の反応だったのかもしれない。でも、いまに至るまで、あのとき怒りをあらわにしておけば、といった後悔は持ったことがない。鈍感なのかもしれない。
これは姉の存在とは関係ないのだろうけれど、昔から男らしくないと非難されることは多かった。園児のころ、好きな女の子と遊んでいるときにハチが飛んできて彼女のそばをブンブンと飛び回っていたので、かっこいいところを見せるつもりでハチに殴りかかった僕は見事に刺された。男らしく、ということをいくらかでも意識して実行したのはそれくらいだ。似合わないことをやるもんじゃないと、幼いながらに痛感した。
それもこれも学校を卒業したあとはどうでもよくなった。男らしさも気にせず、周回遅れの感覚も次第に薄れていった。でも弟らしさはぜんぜん抜けてないみたいで、いまでも「姉がいます」といえば「ああー」と納得される。なんだ、弟らしさって。