スペアリブが焼けるまで

metayuki
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精肉店でおいしそうなスペアリブが安かったので買ってきた。煮込みにしようかと思っていたけれど、ひさしぶりに、ドラマ『ハウス・オブ・カード』のスペアリブを再現することに決めた。帰宅して、漬けだれに3時間漬け込んで、150℃のオーブンで1時間焼いて、そのあと200℃でさらに10分ほど焼く、といった工程で作るのだけれど、本場のスペアリブを食べたことがないので「再現」できているかはきっとわからない。

てなわけで、いま、焼いているあいだに、この文章を打っている。

骨付き肉というものがあまり得意ではない。好んで食べたりもしない。手羽先なんかを食べていると、骨に血がついているのがあたりまえで、それを眺めているうちに、こう、「生き物を食らっている」気持ちが高まってきて、気持ち悪くなってしまう。さすがにもうそこまで繊細ではないけれど、十代のころはほんとうに無理だった。鶏肉でいえば、皮のついた肉も無理だった。小学校の給食で年に何度かチキンソテーが出て、これが皮付きだった。2年だったか4年だったか、その皮のところだけ剥がして残そうとしたのだけれど、担任が給食絶対完食せよ、の人だったので、皮を食べるまで机を離れてはならないと申し渡され、昼休みになっても食べられないまま、皿の上の皮と向き合うことになった。だったらほかのものといっしょに飲み込んでしまえばよかったよ! というのは当然あとのまつりであって、それからは嫌いなものをさっさと飲み込んでしまう戦略を取るようになった。

手羽先への抵抗が薄れたのは、東京の赤坂に勤務先があったときだ。近所に手羽先をメインで出す居酒屋があり、よく会社の人たちとそこで飲んだ。仕事柄、待ち時間も長かったので、クライアントや代理店からの修正指示を夜遅くまで待つことが確定しているときなど、手羽先で一杯ひっかけてから会社に戻るなんてこともやっていた。勤務中に酒を飲んでいたのか、と驚かれるかもしれないが、そういう環境だった。いまは知らない。昔話である。

手羽先を食べては骨を銀の容器に放り込む。そういうスタイルだった。骨なんか見ずに、食べては捨て、食べては捨て、とやっていれば、血痕も気にせずにいられた。

赤坂の事務所近くにはラーメン屋も何軒かあって、九州じゃんがらによく足を運んだ。人生初の替え玉を頼んだのも、そこだったような気がする。酸辣湯麺とかもよく食べた。釜玉うどんのおいしさを知ったのも赤坂だった。どちらも東京に出るまでは食べたことがなかった味だ。

そんなふうに人と食事をする機会がめっきり減ってしまい、最近はまた骨付き肉を食べなくなってしまっている。たまに居酒屋なんかで手羽先が出れば普通に食べるのだけれど、赤坂の店でほいほいほいほいときれいに食べていたときの技術は消えてしまった。きれいに身が取れない、へたくそな食べ方になってしまうだろう。練習しようかな、骨付き肉の食べ方。まずはスペアリブで。

@metayuki
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