向き不向きでいえば、もとからSNSに向いている性格ではなくて、だからここ「しずかなインターネット」で毎日毎日長めの文章をつらっつらと書いているわけで、べつに毎日書くような何事かが起こるわけでもないので過去の思い出話が必然的に多くなり、こういうことでもなかったら思い出さなかったかもしれない記憶がやあやあとめぐってきて、ちょっと楽しい。楽しいのか。そうかそうか、そんな気持ちではいなかったけれど、そうかもしれない。
読まれることを期待しないように気をつけつつ、でも読まれることを想定して書いてはいるわけで、それはつまり、あまりに読みにくくなっていないか、という点に留意しているということ。「期待」と「想定」には大きな隔たりがあって、「期待」に傾いちゃうと、なんか良い話を書くぞーって気持ちが優勢になるので、できるだけそうはならないよう心がけている。そんなのも書く必要はないんだけど、どうしてわざわざ書いているのかといえば、今日は何を書こうかと考えたときに「いいか貴様、おまえがこれからものそうとしているのは読んではもらえない文章なのだよ」と自戒の念を呼び覚ましていたら「着ては貰えぬセーターを」という歌の一節が飛び込んできた、という話を書こうとして、その前段としてここに文章を書くにあたっての心構えも記した次第です。
「着ては貰えぬセーターを」って、なんの歌だっけか、と検索してみたら、都はるみの「北の宿から」だった。題名を目にしてもピンとこないけど、メロディはうっすらと聞こえてくる。そのくらいには知っている。ひょっとして歌えるかもしれない。
歌えるかもしれない、といえば、とある結婚式で「世界に一つだけの花」を歌わされたことがある。サビくらいは知っていたけれど、ほかの部分はさっぱりわからない状態で、もともと僕が歌う予定ではなかったのだけれど、ほか数人の男性とともに歌うよう促されてマイクを持たされた。「いやほんとに僕知らないんですよ」と司会者に訴えたけれど、「知らないはずないでしょ」と強引に押しつけられて辟易した。
お祝いの席だし、おまえが主役でもないのだから、下手でもなんでも場の空気を乱さずに歌え、と乱暴に言ってしまえばそういう状況だった。実際、僕以外の人も満足に歌えなくてしどろもどろになり、かといって大笑いできるような感じでもなく、場の空気は、いたたまれないね、というものになった。
その後、反省の気持ちもあって「世界に一つだけの花」をおぼえたけれど、人前で歌う機会はめぐってこなかったし、いまとつぜんマイクを渡されても歌えるかどうか怪しい。「北の宿から」のほうが、だましだまし歌えるかもしれない。
出身小学校の運動会で毎年踊った「たかひらだい音頭」だったら、いまでもさっと歌える、そんな自信がある。振り付きで、いける。披露する機会はぜったいにないだろうけど。