生まれて初めてペンライトを振った。
なにごとにも最初はあって、一度経験してしまえばそれ以降はどうってことない。特別なのは、やはり、初めてのときだ。
ライブのチケットを買っていて、ひとりで参加の予定だった。どうせ後方の座席だろうと油断していた。公演の2週間ほど前に電子チケットを確認したところ、わりと前方の席だった。素直に喜べなかった。前方といえばみんなグループで参戦してるんでしょ、コールとかみっちり練習してて、振りコピだって完璧なんでしょ。怖いよ。しかし、だからといってチケット買ってライブに行かないのはもったいないし、むしろ前方って狂喜するところじゃないの? ないんだよ、ソロで参戦する身としては恐怖なんだよ!
もともと僕はライブで手を高く掲げることさえ苦手だ。単純にこっぱずかしいし、それに、うしろの人に邪魔になったりしないかと気が気でない。まわりがやるのは気にしない。でもどうにも自分では、できないのだ。ライブハウスで前方に行くのも気が引ける。フィオナ・アップルのライブだけ、気合で前方につきすすんだけど、あれはいろいろと特別だった。ほかのライブではまあまあ後ろのほうでゆっくり聴くほうが性に合っている。
はい。ひとつ前のブロック、ぜんぶいいわけです。ほんとに、心の底から、恥ずかしい、それだけだ。
だれもおまえの挙動なんて見てねーし、気にしねーよ。というのは百も承知。でも恥ずかしいものは恥ずかしい。そもそも似合わないだろ。俺のガラじゃないだろ。
社会人になってすこし経ったころ、母校の吹奏楽部のOBが集まって演奏会に参加することになり、僕も呼んでもらったのでよろこんで一員に加わったのだけど、なんとまあ、演奏中にひとりで「マンボ!」と叫ばなくてはならなかった。いかにも僕には似合わないというか、らしくないというか、先輩たちも「中山らしくねえなあ、ヒヒヒ」みたいな態度で愉快そうにしていた。練習のときから叫ばされて、ほっそい声しか出なくて皆に失笑された。でも、やった。やってよかったと思う。失敗談は失敗しないと話にならないし、経験談も然り。やったことないことをやらせてもらえる機会が巡ってきたら、基本的にはやる、というのが、いつからか僕の方針になっている。
前置きが長くなった。
ライブで良席になって、だけどペンライト無しだと肩身狭そうなんだよね、と妻に相談した時点で答えはわかっていて、当然のように妻から「買って参加しなよ」と勧められた。だよな。もし僕の身近な人が同じ相談事をしてきたら、そらもう「買って参加しなって、ぜったいそのほうがいいって」と無責任に言う。だってやったことないんでしょ? だいじょうぶだよ、みんなやってんだから難しいこともないし、だれもきみのことなんか見てないって。
いやあ、他人事なら簡単ですわ。
ここ数日、ライブに参加する夢を見て、へんな汗とともに目を覚ましたりした。ペンライトを買えない、とか、ライブ会場にたどりつけない、とか、わかりやすい悪夢をいくつか見ては、げんなりした。よしわかった、ペンライト買うぞ、と決心してからも似た夢を見た。どんだけびびってんのか。
事前にドンキあたりで市販のペンライトを買ってしまおうかとも思ったものの、どうせなら正規品を買うべきでは、という結論に達し、ライブ当日のグッズ先行販売にいったん足を運んで、無事に公式ペンライトを買った。そういえばグッズ販売に並ぶ夢も見た。売り切れてたよ、夢の中では。そして現実では売り切れてなかった。その時点でだいぶ気持ちが軽くなった。ほらね、買えるじゃん。たいしたことないじゃん。列に並んで順番待って、欲しい品を買って、それで終わりだよ。
グッズ販売の列にはソロ参戦の人たちもちらほらいて、それもまた心を軽くしてくれた。
そしてライブ本番も無事にのりきれた。楽しかった。やっぱり手を高く掲げて揺らすとかはうまくできないのだけれど、自分が手にしている光も音楽にのっているだけで自然と動くので、曲の一部になれているような気がしてきた。いうなればそれは楽器の一種で、視覚的パーカッションだった。
それはそうだろう。光の演出は昔から行われてきた。客たちの手に照明の一部が委ねられていると捉えればいいだけだ。そっか、だからみんなペンライトを使うのか。合点がいった。
案の定、もう、ペンライトを持ってのライブに恐怖心はない。完全に克服した。えへん(と胸を張ってみても、べつに偉くはない)。明日とつぜんチケットを譲られても平気で行く。なんなら両手持ちとかやったっていい。やはり最初の壁が高いだけで、だいたい、その先に壁はない。
さて。最後に湿っぽい話も記録として書いておく。2月ごろにここで、恩師の死について書いた。そのことをライブのあいだに何度か思い出した。原田さんはペンライトなんて持ったことなかっただろうけど、もし機会があったら、持ってくれたかもしれないし、振ってくれたかもしれない。ぜんぜん似合わないんだけど、でも、初めてのことに臆さない姿勢の持ち主だった。
その姿勢を見習って、これからも初めてのことにはできるだけ挑んでいきたい。それがなければ書けないことばかりだから。
今日、生まれて初めてペンライトを振った。