悲しい歌

metayuki
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遠方まで赴く仕事があって、帰り道にひとりでコンビニに立ち寄り、夕飯のためのインスタントスープとちいさなおかず二品を購入した。ふと、独身時代に戻った感覚があって、自分がどこに帰るのか、向かう方角が、ぐにゃりと曲がってわからなくなった。そのように書くと物語的過ぎるのだけど、不思議な感覚の正体をつかもうとすると、そうなる。

夢で高校生に戻っていて、試験を受ける羽目になって焦る、なんて話をたまに見聞きする。僕もときどき高校時代に戻る夢を見るけれど、テストが混ざってくることはない。だいたい、部活に関する夢だ。吹奏楽部で打楽器担当だった。コンクールとか定期演奏会とか文化祭とか、人前で演奏本番を迎える直前、という設定が多い。本質的にはテスト直前と変わらないのだろう。そしてたいてい、夢の中で自分が本当は高校生じゃないのだと気づいてしまう。なのにどういうわけか、これは夢だ、とは思わない。僕は目覚めているときと同じ年齢で夢の中にいて、その夢を夢と思わず、現実として受け入れはじめる。高校生たちに混じっていっしょうけんめい練習しながら、俺、もう四十八だけど、と思って悲しくなってくる。だけどだれかに「帰れよ、おっさん」といった文句をぶつけられることもなく、練習をしながら、ひとりで、自分は高校生じゃないんだ、と落ち込んでいる。

いやな夢だ。救いがない。

よほど、あの時期がしあわせだったんだろう。だからもう自分がそこに属していないことをいつまでも確認しているのだろう。

その類の夢から目覚めたときにも、やはりさみしい。現実に戻ったというよりは、夢に留まれなかった、というさみしさだ。

そしていつか、いま、たとえばこの文章を打っているこの時間だって、愛しくなる日が訪れて、もうここに戻ってこれないのだと思い知って、あるいは夢の中で「しずかなインターネット」にぱちぱちと文字を入力しながら「ああ俺はもう四十代じゃないんだ」と打ちひしがれるのだ。いやな予想だ。

昨日観ていたドラマで「世界に対してオープンにならなくちゃいけない」という台詞があって、そうかもな、と頭に書き残した。

今日仕事で話をうかがった人が「自分の未熟さに気づかないと、子供に教えることはできません」と言っていた。まったくもって、そのとおりだと思う。

日々の中に、日々を良くしていくための言葉はちらばっていて、ちょっとずつ光っていて、その光をひとつでも多く拾い集めて、先を照らす灯りにしていきたい。悲しい夢とバランスをとるためにも。

それではお聞きください。ピチカート・ファイヴで「悲しい歌」。(あー、そんなこと自分で書いてまた悲しくなってきた。あれ、ほんと悲しい歌なんだよな)

@metayuki
書きたいこと好きに書いてるだけの生き物。ときどき創作物が混入します。ハッシュタグでご確認ください。