シャンプー (創作)

metayuki
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 上司の尾田さんが出張先で不思議な体験をしたと教えてくれたのは、つい昨日のことだ。ビジネスホテルで備え付けのシャンプーを使ったら、やけに香りがきつくて、だけど商談はその日のうちに終えていて、夜が明けたら自宅に戻るだけだから、あまり気にせずそのまま洗った。おかげでお花畑にいる夢を見たというのだが、もっとふしぎなことが朝に起こった。

 ランニングを日課にしている尾田さんは出張先にも愛用のシューズとウエアを持参する。その日も皇居周辺を走るつもりで早起きした。静かな都心をほかのランナーたちにまじって走っているときにも、シャンプーの香りがした。自分のうしろに花が咲いていないかなんて想像が芽生えて振り返ったりしているうちに、知らない道に出ていた。ほかにランナーの姿もなく、本来のコースに戻ろうと、適当に角を曲がると、目の前に長い階段があらわれた。手すりのついた、人ひとり分の幅しかないコンクリートの階段が道の真ん中にあって、上を見てもどこにつながっているのかわからない。冬の朝で、空気は冷たく、体はすでにあたたまっていて、それに花の匂い。尾田さんは誘われるように手すりに手をかけて階段をのぼっていった。そばのビルを追い越して階段はまだつづいた。丸の内のビル群を追い越したあたりでさすがにやばいと思って引き返した。

 嘘でしょ、と俺が言うと尾田さんは待ってましたとばかりにスマホで写真をひらいた。ビル群の上から撮った写真だった。いやそれドローンかなんかで撮ってますよね。俺は笑ってスマホを返した。シャンプーのせいだと思うんだよなあ、と尾田さんは態度を変えて、ぼそっと告げた。死んだ奥さんが花の香りのするシャンプーを使っていたという。

 夜になりシャワーを浴びながら俺は、去っていった恋人の残したシャンプーを手に出してみた。花とは違う、なんというか、薬のようなにおいがした。眠ると、彼女が戻ってくる夢を見た。夜明け前に目がさめて、散歩に出た。歩いていると道の真ん中に階段があった。上にではなく、道路のまんなかに四角い穴があいて、そこに階段があった。先は見えない。どこまで続いているのか、どこにつながっているのか、なにもわからなかったけれど足を踏み出した。スマホのライトで中を照らした。どこまでおりていってもどこにもたどり着かなかった。振り返ると、すぐそこがもう闇だった。引き返すことにしてのぼりだしたけれど、いったい俺はどれだけおりてしまったのか、いくらのぼっても地上にたどり着けなかった。疲れて、どこらへんにいるのかもわからない段に座った。尾田さんに倣って写真を撮ってみたけれど画面は黒くて何も映っていないも同然だったから、俺はこのテキストを打っている。電波も届いていない。これは夢かもしれない。俺が縋りつける可能性はそれくらいしかなくて、このあと眠ってしまおうと思う。目がさめたら自宅のベッドにいる。あわよくば、隣に恋人が眠っていて、私のシャンプー使ったでしょ、と叱られたい。

@metayuki
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