落ち込むことがあったので、落ち込んでいる。
でしょうね、という反応しかできない出だしですみません。自分でも持て余してしまっていて、でしょうね、ということしか書けない体たらく。
落ち込むことがあったので、高揚している。
敢えて逆の感情をくっつけてみた。これですこしは気分も浮上しやしないかと期待して。や、期待はしてなかったけど、書いたらちょっと元気出た。落ち込むことがあったからって落ち込む必要はないのだ。
落ち込むことがあったので、お祭りしてる。
であってもいい。憂さ晴らしにね、お祭りに出かけたらいいよ。ひとりでカラオケに行ってお祭り騒ぎしたっていい。
落ち込むことがあったので、待ち合わせしてる。
ああ、人と会うのもいいよね。そういうときにぱっと気持ちを切り替えさせてくれる相手がいるのは幸せなことだと思う。
落ち込むことがあったので、なかったことにしてる。
それが私の希望。でもな、落ち込むことっていうのは、なかったことにしちゃいけないことでもあるのよ、たいてい。しゃあない、次、次、のメンタルで生きていかなくちゃ渡世は辛いものになるとわかってるんだけど、落ち込むには落ち込むなりの理由があって、理由があるということは、そこには学ぶべきなにかが転がってるってことだから、なかったことにしたら似たことで落ち込むよ、あんた、え、わかってるのかい。
今日は知らない人格がちょいちょい出てくる。こういう書き方は書いてる本人は饒舌になって楽しいけど、本人だけだぞ楽しいの。戒め戒め。
落ち込むといえば、大学生のころに手痛い失恋をして、そのタイミングで自分の父親とふたりきりになることがあり、慰めの言葉をかけられた。父にも申し訳ないことをしたなと思うのは、いかにも不慣れな感じで慰められたから。こちらも若かったので、いやもうほっといてくれよ、という気持ちもあり、だけどそう邪険にするほどの度胸もなくて、双方、いたたまれないひとときを過ごした。
「いたたまれない」と感じてるのは息子のほうだけで、実際のところ父がどう考えているのか、そもそも記憶しているのかもさだかではない。
もしも自分の子がひどい失恋に落ち込んでいて、俺は声をかけるだろうか。んー、タイミングによるとは思うものの、できれば避けたい。そんなタイミングでふたりきりになるとか、よしていただきたい。あっちも同じ気持ちだよ、多分、絶対。