病院で職員をナンパしてる人を目の当たりにした。ほんとにいるんだ。
生きているとときどきこんな感じで「ほんとにいるんだ(こんな人)」という場面に出くわす。楽しい。
旅行でロンドンを訪れた際、ホテル空港間の移動は送迎付きで、帰りの飛行機に乗るための車移動では現地の日本人スタッフが付き添ってくれた。若くて小柄な女性で、左手にはめたゴツい指輪が目立っていた。
車が空港に到着し、建物まで案内してくれるというので、彼女のあとをついて歩いていると、不意に、一台の車が近づいてきて、あわや彼女にぶつかりそうになった。すると彼女は「Hey!」と声を荒らげ、ゴツい指輪でその車をゴンゴンと殴った。確かに二回は殴った。
映画やなんかで不良たちがそんなふるまいを見せるシーンはあるけれど、現実に目撃するのは、なかなかの衝撃だった。
夜の新宿を歩いているとき、人目も憚らずいちゃついていた中年男女がいて、その横を通り過ぎる際に「悪い女だなあ」という声が聞こえてきた。だいぶねちっこい言い方で、ほんとに言うんだ、と驚くより感心した。
このごろは、若い人の所作にアニメっぽい動きが導入されている気がして、たとえばおいしいものを食べたときに頬を持ち上げてたりする。「おいしー」のポーズなわけだけれど、だからといって「ほっぺが落ちる」とは言わない。ポーズだけが定着して、言葉は不要になったのだろう。さみしい。
あれは「ほっぺが落ちそうだから、落ちないよう支えている」ポーズであり、味を伝えられないアニメや漫画で「このキャラはおいしいと感じていますよ」を表現するための記号的なものだと認識しているこちらとしては、「ほんとにそのポーズやるんだ」と、ふしぎな気分になる。
しかし、そんなふうに考えはじめると、およそあらゆるポーズが記号的な機能を持っているんじゃないのかって思えてくる。
おじぎだってそう、拍手だってそう、ゴツい指輪で車を殴るのも、異性の耳元でささやくのも、すべては記号なのかもしれない。私はいまこんなふうに感じてるんですよ、を表す記号。(病院での職員ナンパは除く)