スタメン列から

metayuki
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ポール・オースターの訃報に触れて、こんなにも泣きそうになっている自分に驚いている。好きな作家ではあるものの、読めていない作品もあるし、熱心な読者とはとてもいえない。

僕の本棚にはお気に入りの作品だけを並べた列があって、いわば小説のスタメンといったところ。ポール・オースターの『サンセット・パーク』もその一員として何年も定位置に収まっている(棚のスペースには限りがあるので、スタメンはときに入れ替わる)。『ムーンパレス』は大好きで何度か読み返したし、『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』は文章講座の参考作品としても活用している。すこし前に文庫化された『冬の日誌/内面からの報告書』は、しっかりと読み込むのではなくて、なにかのおりにちいさな時間があいたときに開いては、ちょっとずつ読み進めている。

ポール・オースターの作品を初めて手に取ったのは、二十代前半のころ。たしかまだ就職しておらず、アルバイト生活を送っていた。美容室へ行くときに『シティ・オヴ・グラス』の角川文庫版を持っていった。待ち時間に読むつもりで持参したのだけれど、カット台に案内されても読み続けることになった。美容師さんにも「カットのあいだに本を読む人、初めてだよ」と笑われた。

『シティ・オヴ・グラス』は角川文庫から出ていたもので、いまは柴田元幸さん訳『ガラスの街』として新潮文庫に入っている。

SNSで訃報に言及することがどうにも苦手で、だけどここにこうして書いているのだから同じことじゃないかと思わなくもない。追悼は個人的にしたい。

ポール・オースターの魅力はなにかと考えると、僕にとっては、つぎのようなことになる。読んでいて、読んでいる感じにならず、自分の中に設置されたラジオに耳を傾けている気分に浸る。訳文に対してなにを気障な言い方しやがって、と自ら貶したくもなるのだけれど、でも、そういう感覚が確かにあって、ほかの作家にはない鳴り方を楽しませてくれる。

77 歳だったそうだ。早い、とは思わない。未邦訳の作品もあるし、未読の作品だってある、という事実で悲しさが薄れることもない。ポール・オースターは、もちろん本人の筆力によって世界で愛される作家となったわけだけれども、日本においては柴田元幸さんの紹介と翻訳による認知と人気が大きく、きっと大勢の人がその死を悲しんでいることだろう。そしてそのうちの多くがお気に入りの作品を引っ張り出して、作家の言葉をもういちど我がものにするため耳を澄ますだろう。

『サンセット・パーク』の結びの文章を引いて終わりにしよう。

(前略)そしてマイルズは自分に問う、未来がないのに未来に希望を持つのは意味があるんだろうか、これから先は、と彼は自分に言い聞かせる、もう何についても希望を持つのはやめて、今だけのため、この瞬間、このつかのまの瞬間のためにだけ生きるんだ、ここにあって次の瞬間にはもうない今のため、永久になくなった今のために。

@metayuki
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