※わりと悪趣味な話題になっているのでご注意ください。
熊本城の近くに古い屋敷があって、映画だかドラマだかに使われたことがあるらしいと、小学生のいつだったかに聞いた。誰から聞いたのかも定かじゃない。たしか、ミステリかサスペンスの作品だった。重要な人物の出身地が熊本で、生家としてその屋敷が使われていたような。ぼんやりとその場面が記憶にあるので、実際にその映画かドラマを観たのかもしれない。屋敷の前を通過することは何度もあって、頻繁に「あ、この屋敷」と思ったものだ。
さっきストリートビューで確認したら、その屋敷はなくなっていた。
まあ、いいや。本気で知りたいわけでもない。そうやって、本当に映画かドラマに登場したのかを突き止めないまま放置しておけば、いつか、もっと歳を重ねたあとで、「熊本城の近くに映画の撮影に使われた屋敷があったんだよ」と断定口調で言うに違いない。そうやって自分の記憶だけを元手に地図をつくっていけば、アナザー熊本をつくることもできる。人の数だけ、どの街も別パターンが存在している。
自分の外側に存在しているものであれば、客観的資料もあるかもしれないので、真偽を区別することもできるのだけど、自分の内側に起因することはそうもいかない。
あれはまだ幼稚園にも通っていないころ、僕は熊本県山鹿市に住んでいた。両親が共働きで、幼稚園にも通えない年齢だったので、お茶屋さんを営む老女のもとに、日中、預けられていた。でかい茶箱を並べ、茶葉の量り売りをする、そういうタイプのお茶屋さんだった。ある昼下がりのこと、僕はひとりでテレビを観ていた。ワイドショーのようなものだったと思う。季節はおぼえていない。薄暗くて、だけど寒くはなかったし、怪談めいた話題が紹介されていたので、夏だったんじゃなかろうか。再現VTRが流れだした。人を食う「やまんば」の話で、現代にも実在する、といったような、まあ、怪談というよりはオカルトネタだった。山間の村を訪れた人物が、未舗装の道を歩いていると、あちらから老婆がやってくる。挨拶をかわしてすれちがい、次の場面でその老婆が暗い部屋で包丁を研いでいる。旅人を殺して食っているのだ。そう理解すると同時に、僕の口の中に酸味がかった味がひろがった。これが人肉の味なのかと思った。
もちろん、3歳やそこらのときに「これが人の味なのか」と言葉にして考えたはずもない。ただ、その場面と口中の味は忘れられなかった。
しかし、そんなことが実際に起きたのかは、わからない。そもそも薄暗い部屋でひとりでテレビを観ている、しかも怪談やオカルトを扱った番組を観ている、というのがおかしい。じゃあ夢で見たことを現実と取り違えているのか。その可能性はある。お茶屋さんで昼寝をしているときに見たいくつかの悪夢をおぼえている。めったにあがらない二階で殺人鬼と対面するとか、巨人に追いかけられて踏み潰されそうなところで目を覚ましたりとか、鮮明におぼえている。でもその鮮明さは、やまんばの件とはぜんぜん違う鮮明さで、やっぱりそっちは現実だったんじゃないかと思う。
何年かが過ぎて、前世とか来世という考え方を知った僕は、前世で人肉を食べたことがあるのでは、と思い始めた。だから、包丁を研ぐやまんばを見たときに、知らない味が蘇ったのではないか。
母に話したら、盛大に呆れられた。そりゃそうだ。
真偽云々などと大層なことを書いたけど、「前世」を前提とした話など、所詮は与太話なのである。好きだけどさあ、その手の話題。