福岡でも積雪。我が家あたりは「積もった」とは言えないくらいだったけれど、屋根屋根が白くなっていれば、それはもう「積もった」といってもいいのが九州平野部の感覚であろう。
学校から朝早くにアプリへ通達が届いて、本日の投稿は1時間遅れの午前9時半にします、とのこと。各家庭で本日の登校が危険と判断された場合は、欠席の連絡をください、といったことも書かれていた。配慮。台風の際の対応が批判された経験が活かされてのことだろう。学校側もたいへんなことである。
僕は用事があったので、朝から車を出した。路面が滑らないかやや心配だった。さすがにほかの車もゆっくりめに走っており、とくにスリップするということもなく用事を片付けることができた。
九州平野部の人間にとって冬用タイヤは縁遠いものである。多分。「冬用タイヤを履く」という言い回しを声に出したことがない。
2年前の12月、出張で北海道は室蘭を訪れた際、同行者が運転するレンタカーに乗って移動した。足が埋まるくらいには雪が積もっていて、車道も凍っていた。言わずもがな、現地レンタカーなので冬用タイヤを履いていたはずだ。それでも、何度か、車がおかしな挙動を見せた。おおおおおお、と笑い声まじりに皆、声をあげていた。事故らなくてほんとうによかった。
運転していたのは東京の方で、北海道の雪道の運転に慣れてもいないのだけれど、それでもけっこうなスピードを出していた。それで平気なのだから、肝がすわっているというのか、それとも東京の人っぽいと思えばいいのか。いや、あれだけの人口が暮らす街を指して「東京の人」というくくりもないだろう。
しかし僕にとっての「東京の人」イメージは確かにあって、たとえば上に書いたような、ちょっとくらい怖いことをやってもなんとかなるだろう、という豪胆さもそうしたイメージのひとつに挙げられる。これで失敗してもたいしたことないでしょ、と思ってそうなところだ。
仮説として、電車網がめちゃくちゃに細かいことがあるのではないだろうか。地方でバスや電車を乗り間違うと、これは大変な問題になる。停留所と停留所、駅と駅の間隔がひらきすぎていて、引き返すにも時間がかかる。東京は進行方向逆の電車に乗ったところで、それほど大幅なロスにはならなかったりする。いつもそうだとまでは言えない。無論、大幅なロスになることだってあるだろう。でも基本的に、乗り間違えのミスはかすり傷にもならない。見方を変えれば、じつに簡単に乗り間違えてしまうくらい、駅も路線も多すぎるのだけれど。
以上、勝手な仮説でした。