ごはんのにおい

metayuki
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ビフテキが鉄板で提供されるお店でお昼を食べた。

鉄板料理で思い出すのは東京に住んでいたころ、たしか従兄弟たちと居酒屋に行ったとき、山芋ステーキかなにかをバイトの女性が運んできてくれたときに「鉄板たいへんお熱くなっておりますのでお気をつけください」とテーブルに置きながら彼女の指先がお熱い鉄板に触れて「熱っ!」と声をもらした。気の毒ではあるものの、一瞬のタッチで火傷にはなっておらず、ひとまずはよかった、ということになった。身をもって熱さ危なさを教えてくれた、わけでもないのだろうけど、おかげでそれから10年以上が経ったいまでも僕は、鉄板料理が運ばれてくるたび気をつけるようになった。

バイトでの失敗なんて誰にでも多かれ少なかれありそうで、たいていは忘れていってしまうくらい些細なしくじりだろう。鉄板の彼女だって鉄板料理を出しながら指先を触れさせてしまったことなんておぼえていないに違いないし、こんなところで自分が「鉄板の彼女」呼ばわりされているなんて思いもしないだろう。誰にどんな印象が残っていくのか、というのは、ほんとうにわからないものだ。

先日は野菜売場での経験を書いたけれど、今回はコンビニバイトでの体験談。いまではすっかり見かけなくなったローカルコンビニ「ポプラ」で、深夜シフトに入っていた。大学時代のことだ。その店舗はマンションの一階に入っており、住人たちも頻繁に利用していた。

ある夜のこと、店の電話が鳴った。普段は鳴ることのない電話で、時間も時間なのでいやな予感しかなかった。深夜シフトは二人組で、もうひとりも大学生男子だった。彼の姿は近くになかったので僕が受話器をとった。

「おまえんとこでさっき買った米がレンジであたためたらへんなにおいがする。どうしてくれるんだ」

電話の相手はドスのきいた声でまくしたてた。実際にはもっとひどい言葉遣いで、「なんやワレぇ!」の類である。「きさん店で買(こ)うたごはんが、妙なかニオイすっとぞ、どぎゃんすっとや」てな具合だ。僕はともかく謝ったものの、あちらは気持ちが落ち着かないらしく「いますぐあがって謝罪せんかい」という剣幕だった。そう、店が入っているマンションの住人からのクレームだった。

レンジであたためて食べるサトーのごはん的なものを買って帰ったらしく、それをあたためたら異臭がするというのだ。店長に連絡がつかなかったため、返金等は翌日に対応してもらうことに(勝手に)決め、とりあえず謝罪と、商品の回収にだけ向かうことにした。電話をとった手前、僕が行くことになった。

玄関が開けられると、現れた人物は声から予想したとおりの強面の中年男性で、上半身裸だった。それ以上のことは割愛する。パックごはんを手に待ち構えていたらしく、僕の鼻先にそれを突きつけ「におってみろ、変なにおいだろう!」と凄まれた。異臭ではなく、まあ、パックごはんのにおいはこんなものか、というのが正直なところだったけど、正直が褒められる場面なはずもなく、僕はひたすら「すみませんでした」と謝った。

それでもおさまらない様子の男性が、おらおらと今にも僕の顔にごはんを押し付けようという態度でいると、奥の部屋から和服の女性が現れ「あんた! いいかげんにしなさい!」と叱りつけた。男性はスッと態度を変えて「わかったならよか」といったようなことをぼそぼそっと言った。

和服姿の中年女性はたまにコンビニにも姿を見せる人物で、その服装でバカでかい四駆を運転することから印象に残っていたものの、マンションの住人であるとまでは知らなかった。

「悪いことしたね、気にしなくていいから、お店に戻りなさい」と優しく言われ、男性に押し付けられたパックごはんを手に僕は一階へと戻った。

バイト仲間に顛末を語り、ふたりでパックごはんをあらためてくんかくんかと嗅いでみた。異臭は認められなかった。

きっとあの男性も和服の女性も、深夜にバイトの大学生を呼びつけたことなんておぼえていないだろう。もうそのコンビニもない。「ごはんのにおい」という言葉にはおだやかで家庭的なイメージがつきものだけれど、そのスジの人にパックごはんのことで凄まれる可能性だってあるのだ。

@metayuki
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