ただの感想文

metayuki
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ちょっとのあいだ楽しく見ていたドラマがあって、だけどなにかドラマが伝えてくる内容とは別のことばかり考え出している自分に気づいて、見るのをやめてしまった。自分にしては珍しいことだ。

普段の僕は、なにかを途中で嫌いになるということがない。ゼロじゃないけど、ほとんどない。作品というものに対しては特にそうで、「昔は好きだったけど、最近はそうでもないんだよ」というふうにならない。一度好きになったら、ずっと好き。麻薬で捕まったあの人の作品も、詐欺で訴えられたあの人の作品も、変わらず好きでいる。

去年の大河ドラマ『どうする家康』は古沢良太さんの脚本で、『鈴木先生』『リーガルハイ』『デート』が大好きだから、大河も期待していた。世間的な評価は「散々」といったところで、僕も期待していたものとは違うなあ、と感じながらも、最終回まで観た。最初のうち、わくわくして観ていた人たちも、だんだんとSNSでの感想が少なくなっていって、まあ、黙殺みたいなところに落ち着いた。否定的な言説があちこちで沸き上がって、それらの批判にはうなずけるところも多かった。

僕も最後まで観たとはいえ、好きな作品だったかと自問すれば、そんなことはなかった。各話でのやりたいことは窺い知ることができたと思うし、何人か鮮烈な印象をもたらす人物もいた。

うまくいってないなと感じたいちばんの理由は、つまるところ、現代劇だったということに尽きる気がする。時代劇だから時代劇をやれ、とは思わないけれど、ここまでやるなら現代劇で観たいという気持ちがずっとつきまとっていた。現代劇の服を着た時代劇、ならばまだわかる。でもあれは逆で、時代劇の服を着た現代劇だった。現代的な正しさが表に出てきてこちらを見ていた。

それでもやっぱり古沢さんの脚本は好きだと思うし、大河ドラマに関しても、擁護したい気持ちがある。べつに求められてもいないのだけれど、『どうする家康』には、優しさや親切心があの時代にどのように在り得たのかを考えるには面白いテキストになっていたのではないかと、そう思う。

どんな作品も、受け手が最後までつきあうか、途中で離れるかは、自由に決めればいいことだ。僕は、でも、なかなか離れることができない。根底に読書体験があるからだと思う。自分にあわない本も数多くある。ばっちり合う本のほうが少ないくらいで、だけど、あれこれ読んでいくうちに、とんでもなく遠いところまで連れていってくれる作品に出会う。なんて意見はありきたりだけれども、それが自分にとっての真実なのである。古沢さんの作品では『デート』がいちばん好きで、そして他の作品にも『デート』に流れていたあたたかさが通底してあると思っている。

ただの感想になってしまった。そんな日もあるか。

@metayuki
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