昨年末に始めた『ファイナルファンタジー5』ピクセルリマスター版をクリアした。冬休みのあいだに1/3くらいやって、日常生活が戻ってきたあとは平日に遊ぶ時間をとれず、週末にちょっとやって、クリアまで24時間ほどだった。高校時代にオメガを倒すまでやったような気もするけど、記憶が曖昧で、誰かがオメガを倒したと聞いたとかだったかもしれない。もともと僕は「やりこむ」スタイルが得手ではないので、物語が一段落したところで満足して手放したかもしれない。
物語で考えるなら、FF4か6の方が印象は強く、なんならまた機会を見つけてピクセルリマスター版の4と6もやりたいなと思っている。だったらどうして5(のリマスター)を真っ先にプレイしたのかといえば、なによりも音楽が好きだから。作業中に流すBGMとしてもFF5のサントラはけっこうな回数聴いている。テーマ曲がすごく好きで、あれでテンションがあがるのだ。
それから、FF4と6については、ひとりで遊んだ記憶ばかりなのだけれど、5は当時の友人たちと遊んだ思い出もあって、特別なところに位置づけられている。思い出のひとつは、おなじ部活の友人Tの家にクリスマスだか新年会だかで集まったとき、Tの弟がFF5を手に入れて、僕らの前で遊び始めた、というもの。スーパーファミコンで始めての『ファイナルファンタジー』で、オープニングで隕石が落ちてくる場面に、みんなで盛り上がった。部活の友人たちは女子が多くて、普段ゲームをする者は少なく、だけどそのときだけはみんな興味津々という感じになって、普段とは違う顔が見れたことが印象深かった。厳密には「いっしょに遊んだ」とはいえないのだけれど、あのときの空気感は忘れられない。
小学2年生から6年生にかけて、Aという友人の家が僕らの溜まり場だった。学校からはだいぶ遠くに住んでいたAの家に、毎日のように自転車で集まり、ファミコンばかりしていた。二階建ての家で、二階の一室がAの部屋だった。年の離れた弟がいて、あまり顔を見ることはなかった。そこが溜まり場になった最大の理由は、子供の部屋(つまり、Aの部屋)にテレビもゲームもあり、ゲームで遊ぶ時間に制限もなかったからだ。テレビなんてだいたい一家に1台だった時代で、ゲームは1日30分と真面目に指導されてもいた。Aの部屋を天国だと、僕らは信じて疑わなかった。Aの家には母親がいて、いつも一階で寝転がってテレビを観ていた。夜にスナックで働いているという話だった。ときどき挨拶しても、とくになにか注意されるということもなかった。僕らはほとんど我が物顔でIの家に入り浸っていた。Aの父親はタクシー運転手で、こちらにはほとんど会うことがなかった。一度か二度、だろうか。粗暴な感じの人だった。それから、白くて小さな犬が一匹、いた。よく吠える犬だった。
Aはひょうきんな性格で、だれとでも仲良くするし、だれが遊びに来ても受け入れた。僕は遊びに行くのは好きでも、もしも自分の家にあんなに大勢の友人が来るとなったら、さすがに拒んだと思う。子供のころは、だから、Aの人柄(なんて言葉を当時は思いもしなかったけれど)がありがたかったし、尊敬もしていた。ディスクシステムもあって、『ゼルダ』も『村雨城』もAの部屋で全編を遊ばせてもらった。たまには僕らも自分しか持っていないカセットを持ち寄って遊んだ。いったいどれだけのゲームをあの部屋でクリアしたか、しれない。ゲームのほかに印象に残っているのは、Aのクローゼットでネズミが死んでいたこと。ほんもののネズミ(もう死んでいたけど)を目にしたのは、それが初めてだった。
中学校にあがり、Aの家に集まることもなくなった。そしてあるとき、Aは学校に来なくなった。数日、謎の欠席が続いた。ある友人がAを訪ねたところ、家は無人で、庭には飼っていた犬が死んでいた、という。犬の件はさすがにでっちあげだと思うけれど、Aが家族とともに消えたことは事実だ。学校には連絡が入っているのではと思い教師に問うてみた。確かな返事はもらえなかった。
話が長くなった。
高校時代、部活の友人たちと、友人の弟が遊ぶFF5をうしろから眺めていた、その記憶がいまだ忘れられない場面になっているのは、きっと、Aの部屋で過ごした時間とつながるからなのだろう。
AはFF5を遊んだだろうか。上の世代が道を譲るように次の世代へ希望を橋渡ししていく物語を、Aはどう捉えただろうか。
僕は、僕らのせいで騒々しかったAの部屋しか知らない。親がどちらも仕事に出かけた夜の一軒家で、幼い弟とうるさい小型犬とともに、Aがどんな時間を過ごしていたのか。子供だった僕は、考えることさえしなかった。