2月13日という日付をみて「兄さん」と思ってしまう俺の脳。兄さん、といえばドラマ『NIGHT HEAD』を思い出す。あるいは、電話番号。実家を建てる際に我が家に出入りしていた建設会社の担当者がなにかの電話番号が「2392」だったのを見て「兄さん急に来た、ですね」と言った。ほんとに、ほんとに、心底どうでもいいことなのに、おぼえている。僕は4歳か5歳か、それくらいだった。実家から保育園に通っていたから未就学児だったことは確実で、どうしてそんなものをおぼえているのか、まったく謎。ひょっとしてあの建設会社の男性のせいで語呂合わせを意識してしまったのだろうか。
しかし、しかしである。語呂合わせで思い出すことはほかにもいくつかあって、小学生も低学年だったころ、父が車を買い替えて、そのナンバーが「59-99」だった。新車で母方の実家を訪れた際、父が祖父に向かって「おとうさん、新しいナンバーは『幸福来る来る』なんですよ」と語るのをそばで聞いてしまい、以来、自宅の車を見るたびに「幸福来る来る」と考える頭になってしまった。
「2392」を「兄さん急に」と読むのは素直でよろしいのだけど、どうしてそのあとに続くのが「来た」なのか。なにか用事があって来たのだろう。幸福も来るのか。幸福は来ていい。じゃんじゃん来てくれていい。じゃああの時期の我が家には幸福兄さんが何度もやってきていたのかもしれない。誰だよ、幸福兄さんって。
スピッツのアルバムに『ハヤブサ』というタイトルがあり、収録曲に「8823」がある。もちろん「ハヤブサ」と読む。大好きな曲だし、アルバムとしても大好き。みんなそうだと思うけど、スピッツの曲はいつの時代にも幸福を届けてくれるので、幸福兄さんは草野マサムネという結論でよろしいか?