子供たちが怖い話や怖いアニメなんかを見聞きしたあと、ひとりでトイレ行けないとか言い出すので、なにが怖いものか、とか、あんなの見るから、とか、まあまあ親っぽいことを言ってしまうのだけれど、その気持はめちゃくちゃわかるし、俺もそうでした。いまだって、そういうときはある。
特にホテルに宿泊するとき、それもひとりで、となると、あかりを消さない。つけたまま寝る。タブレットでドラマとかつけておいて、もう無理ってなるところまで起きておいて、気付いたら寝てる、みたいな感じになるのを延々と待ってる。まっくらにするの怖い。常夜灯だけついてるのも、怖い。
一度、とある田舎のほうで海辺の旅館に泊まったことがあった。仕事で、ひとりで。和室で、まあまあひろい。波が岸壁を叩く音が聞こえるくらいのところだ。南側の壁に額装された絵が掛けられていて、普段はそんなことしないのに、「絵がかけられていたらお札を隠すため」という話を思い出し、「ははは、まさかね」と思いながらついつい絵をずらしたわけですが、はい、ありました、お札。いや、いやいや、いやいやいや、え、なにこのお札、やだやだやだ、なにこれ、とうろたえた。
海岸沿いに建てられた古い旅館で、フロア構成もおかしく、一階と二階の階段はすごく短いのに、二階と三階の階段は一〜二階の三倍くらいあって、どんなつくりなのさ。館内で迷子になったら、二度とここからでられません、といった空間でもおかしくないでしょ。とか妄想を楽しみながら部屋に入ってきたあとで、あ、もうここからでられないかも、と思った。思うさ、そりゃ。
風呂は大浴場のみで、行くしかないだろ、と案内図と照らし合わせながら下りていった。地下かよ、というくらい長く階段を下りた先に大浴場があり、おそらく海面と同じくらいのところに位置していて、部屋にいたときよりもおおきな波音がざっぱーんと聞こえてきた。
ほかのお客さんもぽつぽつといた。でも、全体に暗い。怖い。
あまりに怖くて、部屋に戻った僕は、Netflixで音大きめにして『テラスハウス』を流した。まったくぜんぜん興味なかった恋愛リアリティショーを流して、恋の鞘当てにいちいち「はあ?」と思うことで正気を保とうとしたのだ。
いや待て、『テラスハウス』に野暮なつっこみ入れることで保たれる正気って、それはそれで正気ではないだろう。
夜通し『テラスハウス』を観たのは、あとにもさきにもあの一夜だけだ。
怖い現象に見舞われることはなかったけれど、お札の存在を忘れることもできなかった。
翌日、仕事関係の人と会った際に、「よく寝れました?」と聞かれた僕は、「いやあ、『テラスハウス』観てて、あんまり寝てないんですよ」と答えた。お札のことは、その宿を予約してもらったこともあって、不快な気持ちにさせるのもどうかと考えて、黙っておいた。するとその人はこう言った。「あの『テラスハウス』にでてた●●さん、知り合いなんですよ!」
僕がゆうべさんざんツッコミを入れていた、駄目男だった。おかげで正気を保てた話は上に書いたとおりだ。「●●さんに御礼言っておいてください」と頼みたい気持ちをぐっとおさえた。
ほんと、額縁はずらしちゃだめ。