自宅で作業しているあいだ、イヤホンを耳に突っ込んでビョークのアルバムを流していた。テンションはあがらないのだけど、そのときやっていた作業に合っている気がした。その後、打合せのため外出し、思いがけず帰りが遅くなって、地下鉄はまあまあの混み具合だった。空間に余裕があれば本を読むのだけれど、そうもいかず、じゃあまあ音楽を聴くかとイヤホンを装着したところ、当然ながらビョークが流れてきて、人でぎゅう詰めのなかでビョークを聴いていると人が人と思えなくなってきた。そのままにしておくと気持ち悪くなると判断して別の曲にかえた。
それでふと思い出したのだけど、高校生のころ、作文の課題かなにかで「好きな曲を自分のサウンドトラックにできる最初の世代が僕たちだ」といった一文をかっこつけて書いた。ウォークマンがあればどんな場面でも好きな曲をあてることができる、そう思って書いた文章だ。あれはなんの作文だったのか。
僕が初めて買ったポータブルカセットプレーヤーは超がつくほどの安物で、2,000円かそこらだった。レンタルショップのレジ前に置かれた、ついで買いの対象みたいな、ちんけな品だった。ぎりぎり片手で持てるくらいのサイズで、無骨だった。白くて、ゴツゴツしていて、モビルスーツのパーツみたいだけれど、それでも嬉しくて仕方なかった。登校も下校もひとりぼっちの日がほとんどだったから、行きも帰りも好きな音楽を聴いていた。部活で演奏する曲をまとめたテープもよく聴いていた。映画のサントラも好きで、落ち込んでいるときにはだいたい『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』のサントラを流した。
やがて本物のウォークマンを手に入れ、薄型で音もよくて、イヤホンのコードの途中にリモコンがついたモデルを手に入れ、イヤホンを突っ込んでいなくても、生活の背景に音楽が流れている気がした。
広告制作の会社で働き始めると、仕事中にイヤホン突っ込んで好きな曲を聴いていた。これには大義名分があって、制作会社はだいたいどこもそうだったのだけれど、ラジオが流れていた。なんのために、なのかは知らない。熊本でもそうだったし、東京でもそうだった。コピーライターは言葉を紡ぐ仕事であり、ラジオでDJがしゃべったり、日本語の歌が流れていたりすると、どうにも文章が書きづらい。そこで、耳をふさぐためにイヤホンに登場願うのである。なんならヘッドフォンを使っていた時期もあった。
大学時代にはMDプレイヤーも使っていた。ポータブルCDプレイヤーも使っていた。21世紀を迎え、簡単にCDを焼けるようになると、通勤用のバッグに複数枚のCD-Rを持ち歩くようになった。それがiPodになり、iPhoneになり、記録媒体を持ち歩くことはなくなって、およそどんな曲でも生活に充てられるようになった。それで自分のサントラが豊かになったかといえば、そんなこともない。なぜなら今日は音楽を充てる気力も持てないことがあったから。こういうときは、曲と曲のあいだにいるんだと思うしかない。