大学生のころ、高校時代の友人たちと久留米を訪れたことがある。友人のひとりが久留米の大学に通っていて、そこを訪ねた。誰の車だったか、1台に同乗して、久留米在住の友人も含めて最終的には5人になっていたと思う。久留米の街を案内してもらい、みんなで昼食を食べた。あれは、なんの集まりだったのだろう。夏休みかなにか。僕らの地元である熊本を出発して、久留米に到着して、そこで友人を拾い、昼食をとって、それから全員でまた熊本まで戻ろうとか、そんな流れだったかもしれない。ぜんぜん思い出せない。断片的に蘇ってくるのは、友人の暮らしていたアパートの前に行ったこと、昼食をとるために降りたあたりが古い商店街のような街並みだったこと、それくらいだ。ただ、ひとつだけ、すごく鮮明におぼえている場面がある。
先に書いたとおり、誰の車だったのかも定かじゃない。僕の(親の)車ではなかったはずだ。運転を交代することになり、僕がハンドルを握った。広い駐車場から車道へ出るとき、他人の車ということで緊張していたからか、ウインカーを出すべきところでワイパーを動かしてしまった。車内にみんなの笑い声が響き渡った。
鮮明におぼえているというのは、まさにその一場面だ。前後のつながりはまったくもってよみがえってこない。川底に沈んだガラス片みたいに、それがあることはうっすらわかるけど、という程度にしか、前後のことは思い出せない。だけど生真面目に動いたワイパーと、それにつづくみんなの笑い声は、向かいの席に座った人くらいにはっきりと見える。不思議なものだなと思う。
さて。
僕がその場面をおぼえているのは、恥ずかしさのせいではない。これも不思議といえば不思議だ。自分の性格を鑑みれば、恥ずかしくてたまらないだろうに、そのときには、自分もいっしょになって大笑いした。ウインカーとワイパーを間違ったことはその一度ではないのに、具体的な場所や時期を備えて蘇るのはその一度しかない。
それっぽいことを書き足しておくと、僕は大学時代にあまりいい思い出がなく、そのことも手伝って、親しい友人たちと大笑いした場面が特別なものとして記憶の殿堂に飾られたのかもしれない。
なんてことを、雨の降るなか運転しながら思い出した。本日は雨天なり。