楽しむことの難しさ

metayuki
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下の子がNetflixで同じ作品をくりかえし見ていることが多いので、新しい作品を次々見つけていくより、親しんだ作品をリピートするほうが楽しいのかと質問してみた。半分正解で、半分間違いみたいな回答だったけど、ひとつには、真剣に見ているというよりは、その作品が流れていることで落ち着くらしく、それなら理解できると思った。音楽と同じというわけか。

僕はリピートするより新しい作品を渡り歩く方が好きで、もちろん気に入った作品は2度、3度と観ることもあるのだけれど、生活の背景で流しっぱなしにしておきたいという気持ちにはならない。それって、だけど、個人の嗜好とかではなく、単に「それができる環境だったかどうか」ということなのかもしれない。子供たちは好きな映像作品を好きなタイミングでいくらでも観られる環境があった。僕が子供だった時代にはなかった。それだけのこと。

ウォークマンが誕生して、音楽は個人で持ち運べるものになったのだから、僕より上の世代の人たちにはそれもちょっと違和感があったのかもしれない。え、そんなにずっと音楽聴いてるの、みたいな疑問が。

リチャード・パワーズの作品に『われらが歌う時』という傑作があって(パワーズの作品はどれも並外れて傑作なのだが)、たしかそこに「音楽は本来、歌うものであった」といったような記述があった。プレイヤーがあって、メディアがあって、再生ボタンを押して流れてくる音楽を「聴く」ようになったのは近代以降であって、それ以前の音楽は、とくに一般の人たちにとっては「歌う」ものだった、という話だったようにおぼえている(ちょっと違うかもしれないけど)。

僕らは自分の生きている時代、生きてきた時代を基準に世界を見てしまう。そして世代の差というものが生じる。もっと以前、というのは近代以前というあたりだろうか、文化の進展がずっとスローだった時代には、世代差というのもそれほどなかったのかもしれない。親と子は似た文化を生きていて、それぞれの時代に価値のあるなにかをともに受容し、楽しんでいた、かもしれない。

そうなるといよいよもって親子で価値や記憶を共有することの困難さを思うわけで、旅行とかもうちょい行っておきたいなと思う、心から。

@metayuki
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