全力と正しさ

metayuki
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雪が降った。福岡には珍しい天気で、いまのところ積もってはいないけれど、日中に吹雪く街を歩けたので満足。

昨日はかなり憂鬱だった。専門学校で講師を務めているのだけれど、交通機関にも影響が出るならば、ひょっとして休講になったりしないか、という不安があったためだ。

休講にすれば、学期末にでも補講を実施しなくてはならない。授業回数は「全○回」と定められているので補講は当然の対応ではあるものの、日程としてはイレギュラーなものになるし、学生の側にだって都合があるだろうから、そう簡単に「補講でなんとかしまーす」とも言いたくない。

自分の大学時代を思い返してみると、学校までやってきて初めて休講と判明する、なんてことがままあって、ネット以前の時代だったからそれはいいとしても、じゃあ休講になったぶんの補講が確保されたかといえば、そんなおぼえはない。先生たちのほうも「○回までは補講なしで休講OK」みたいな規定があったんだろう。いまはそんな悠長な空気はないのかもしれない。

大学時代、英語の講義で短編小説をただただ読む、というものがあった。小太りの先生で、若く、まだ学者として一歩を踏み出したばかりという佇まいだった。カポーティの「ミリアム」を原文で読んだ。すごくおもしろかったけれど、講義ではなく作品がおもしろかった。ほかになにを読んだか、おぼえていない。ハードボイルド系のサスペンスを読んだのは確かなのに、作品名も作者名も思い出せない。なんにせよ、読んで訳して読んで訳して、というだけだったけれど、楽しかった。

英語といえば、別の先生の講義で、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』を原語音声のみで観る、というのも楽しかった。いわずもがな、作品のおもしろさによるところがほとんど。「Hi there」の言いまわしを知ったのも『カイロの紫のバラ』のおかげである。Hi there!

あれは英語の授業だったか、女性の先生が「愛」についてのテキストを用いていて、すごく印象に残っているのはそのテキストではなく、先生が自身の娘について語った言葉だ。「私は娘に無償の愛を注いでいるの。愛を抑えちゃだめ」といった話で、全力で愛せば子供は正しく育つ、とつづいた。この言葉は自分が親になってから何度も思い出している。そう単純なことではないですぜ、と反論したい気持ちもあるけれど、その単純な信念こそが子育てに向いている心構えなのだろう、という理解も可能だ。

授業については、全力でやったからといってうまく機能するとは限らず、何度やっても、何年やっても、迷うことばかりで参ってしまう。親になって初めて親の思考がわかるように、先生になってみないと先生の苦悩は見えてこないなと思う次第です。

で、なんだっけ。補講の話か。いや、今日、授業やったから補講については考えなくていいや。よかった。

@metayuki
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