下のおじちゃん

metayuki
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カルディでレジ待ちをしていたら、すぐそこに「下のおじちゃん」が現れて目を疑った。こんなとこにいるはずもないのに。それはそのとおりで、下のおじちゃんは何年か前に亡くなったし、そもそもカルディで買い物をするような人ではなかった。いや、それはわからない。趣味人でもあったので、近所にカルディがあれば通ったかもしれない。

「下のおじちゃん」というのは母方の祖父の弟さんのことで、正しい名前を僕は記憶していない。物心ついたときからその人は、下のおじちゃん、だった。母の実家は平坦な土地にあって、車道から一段高いところに家屋が設けられている。その真向かいに、車道と同じ高さに建てられた家があって、そこが下のおじちゃんの住まいだった。

つまり、「下の」というのは祖父の弟という年齢のことに加え、土地の位置関係も含意としてあったわけだ。(うがった見方をすれば、長男と次男のあいだに存在した超えられない段差も意図されていたのかも。それは現代的に過ぎる解釈で馬鹿げているとは思うものの)

ほとんど記憶がないのだけれど、祖父の母、つまり僕にとっては曾祖母にあたる人物が、下のおじちゃんとふたりで暮らしていた。僕が小学校にあがるよりも前に、曾祖母は亡くなったのではないだろうか。以後、下のおじちゃんは下の家でひとり暮らしを続けた。

夏休みや冬休みに祖父母の家に滞在していると、いつのまにか下のおじちゃんが居間に座ってお茶を飲んでいるということが、頻繁にあった。勝手口から入ってきて、ほとんど自宅のようにあがってきて、祖母たちとお茶を飲んでおしゃべりして、また下の家に戻っていく、というような流れが、ごくあたりまえのこととしてあった。僕ら子供たちも下の家まで遊びに行ったりしていた。下のおじちゃんは焼き物が趣味で、窯を借りて、あれやこれやと器をつくっていた。痩せて、肌が浅黒くて、目がぎょろりとしていた。物腰のおだやかな人物だったけれど、ある程度の年齢になると僕は下のおじちゃんの風貌を、記録で見る日本兵に重ねることが多くなった。

僕の知る限り、下のおじちゃんは生涯独身だった。なんの仕事をしていたのか、そういえば知らない。畑仕事だったのだろうか。近所に田んぼと畑があったはずだ。

いまから十年から十五年くらい前だったかに、なにかの記事で「昔は得体のしれないおじさんがどの家にもいて」といったような話を読んだ。夏目漱石とか、北杜夫とか、そのあたりの作品をひきあいにだしての話題だったかと思う。そういった「なにをして生活しているのかよくわからないけど、家に馴染んでいる人物」が今こそ必要なのではないか、といった論調で、言いたいことはわかるのだけど、思い返してみれば、まあ、まだそんなことを言える余裕があった時代だったんだな、という気がする。

下のおじちゃんは、八十過ぎまで生きた。長生きだったわけだけれど、その人生がどんなものだったのかは、わからない。祖父には戦争の体験談を中心にあれこれと聞くことができたものの、下のおじちゃんとは、そんな話は一切しなかった。もったいないというか、申し訳ないことをした。そう思うのもこちらの勝手な思い込みで、僕がなにか聞いたとしても、下のおじちゃんは言葉を用いず、おだやかな笑顔で受け流したかもしれないけれど。

@metayuki
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