喧嘩の経験をほとんど持たないまま大学生になった啓介は、当然のように仲直りのやりかたもわからなかった。仲良くしましょうねと、幼稚園でも小学校でもくりかえし言われてきたので友人たちとは仲良く過ごしてきたし、喧嘩になるほど激しく自分を主張することもなかった。
「おまえ、ひとりっこだから」
さも、それが正解であるかのように言われたことは、何度かある。のんびり屋であることも、人にやさしく接するのも、つまりはおまえがひとりっこで、物や立場に執着する必要のない人生を歩んできたから、というわけだ。
よくわからなかった。どうしてそんな理屈が成立すると思っているのか。おなじひとりっこでも、かなりわがままなやつもいれば、好戦的な人もいた。
独占欲の強い人物を非難するのに「おまえ、ひとりっこだろ」と指摘する場面に出くわしたこともある。高校の部活でのことだ。「俺もひとりっこだけど」と啓介が割って入って、余計に面倒な展開になった。「ひとりっこは他人を思う想像力が足りてないんだ」と、啓介まで責められる羽目になった。
大学生になり、ひとりぐらしをはじめ、バイト先で知り合った恵麻とつきあうようになった。ときどき、意見があわずに衝突することもあったが、文句を言うのは主に恵麻のほうで、啓介は黙っていた。すると恵麻は余計に怒りを募らせた。「ちゃんと思ってること言ってよ」と迫られ、説明のような、釈明のような、あやふやな言葉を繰り出した。そうするうちに恵麻の怒りが落ち着いてきて、よくわからないままに喧嘩は終わり、仲直りが成立したふうになった。
ところが今回は、そうはならなかった。
きっかけは、ささいなことだった。啓介の部屋で、いっしょに料理をつくる予定だったのが、材料を買って帰ってきたところで言い合いになった。荷物で手が塞がっていたので、恵麻がかかとを踏んでスニーカーを脱いだ。それを目にして、つい、啓介は「かかと、つぶれるよ」と指摘した。荷物を床に置いてから靴を脱げばいい、それだけのことだと啓介は考えていたが、恵麻は怒った。雪の積もった道をゆっくり歩いて帰ってきた疲れも手伝っての、激しい文句だった。おなじように疲れていた啓介も、頭がまわらずに、つい、こう言った。
「ごめん、俺、ひとりっこだから、ひとの気持ちがわからないんだ」
自分で言っておどろいた。そのことを伝えるよりも早く、恵麻は出ていった。
ひとりになった部屋で、啓介は深く落ち込んだ。ひとりっこだから、という事実がなにかの理由になるはずがないと信じていたのに。
一時間が過ぎるころ、啓介はようやく立ち上がり、恵麻にメッセージを送った。さらに一時間が過ぎた。ほかにやることも思いつかず、食料品をしまいながら板チョコを手にしたとき、SNSで流れてきたチョコづくりの動画のことを思い出した。
あらためて動画を探し、チョコづくりを始めた。自分でも、どうしてそんなことを始めたのか、わからなかった。
板チョコを包丁で削り、お湯をわかり、ボウルを使って湯煎していった。魔法をかけられたみたいに、チョコはとけて、なめらかになった。買ってきた型に流し込んで、冷蔵庫でひやしてかためる。味はもとのチョコと変わらないはずで、どうしてそんな手間をかける必要があるのかと、作業をはじめるまで、啓介は疑問に思っていた。しかし、とけたチョコを眺めているうちに、考えが変わっていった。思い込みが、とけていくようだった。その手間にこそ、意味があるのだと、わかった。
深みのある角皿に、とけたチョコを流し込み、表面をゴムベラで均した。板チョコを削って板チョコをつくる。馬鹿げた作業にも思えたけれど、だれもそれを「ひとりっこだから」と言わないことはわかっていた。その板チョコを誰に渡したいのかも。
仲直りのやりかたとして合っているか、自信はなかった。間違っていたら、やりなおすしかない。とかして、かためて、とかして、かためて。喧嘩ってそういうことなんじゃないか。
チョコを固めるあいだ、近所の文具店までラッピング用品を買いに行こうと、出かける準備をして玄関をあけた。彼女の足跡が、雪の上に残っていた。