折り畳まれたままの

metayuki
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もう何年前のことになるのか、とある学校で小説の書き方を教えていた。書きたいという熱意のある学生もいれば、そうでない学生もいた。熱意のある学生のことを思い出したので、彼女について書いておこうと思う。

名前を「仮」とする。仮は時代物が得意で、わかりやすくいえば陰陽師的な、ファンタジーの要素を絡めた作品を書いていた。端正な文章で、流れに淀みがなかった。僕はそのジャンルに明るくなかったので、適切な評価ができていたかどうかはわからない。それほどおおきな修正を指示したことはなかったはずだ。

年配の講師と話しているときに、僕が「仮」の作品について褒めると「あの手の文体は慣れで書いてしまえるから」と批判的なコメントを返された。その方の言わんとすることは理解できた。既視感のある文体になってしまいがち、ということだ。もっと辛辣に言うなら、借り物の言葉ばかりになってしまう。それでも、「仮」くらい書ける学生はそういなかったこともあり、執筆を重ねながら物語の構築の要点を学んでいけばいいのではないか、と僕は思った。

学年がかわり、僕は「仮」たちのクラスの担当からはずれた。それからしばらくして、「仮」が学校に出てこなくなったことを聞いた。心の問題だという。

「仮」の人物像について、僕の主観で書くと、真面目で、配慮ができて、なかなか自分を曲げることをしない、そんな人物だった。周囲に気配りはできるのだが、譲れないところはぜったいに譲らない。そう思うと、心がくじけてしまったというのも、そう不思議ではない、と受け止めた。馬鹿め。そんなふうに簡単に受け止めるんじゃない、ほんとうに、馬鹿め。

ずっとあとになってから、というのは「仮」たちの学年が卒業してからなのだけれど、彼女の不登校は、とあるイベントのための活動でリーダー的に動いていた「仮」に対して、何人かの学生が批判的なことを言ったことがきっかけだったと、べつの先生から聞いた。その話も、先生伝てに聞いただけでは、いかにも些細なできごとだったふうに捉えられるのだけれど、無論、「仮」にとって些細なできごとだったはずもない。

僕はその学校を離れ、「仮」がその後どうしているのかを知る術もなくなってしまった。

時代物のセオリーをすこし崩してみてはどうか。現代物を書いてみてはどうか。そんなアドバイスをすればよかったかな、と後悔混じりに考えたこともあったけれど、でもまあ、そういうことでもないのだろう。というか、これは後悔の話ではべつになくて、僕が、人に聞いた情報をそのままに受け止めてきたという話だ。時代物の文体。心の問題。批判的なことを言われたのがきっかけ。どれも「仮」本人から聞いたわけではない、べつの誰かによってコンパクトに折り畳まれた情報だった。

仕方ない、と言ってもいい。すべての話題について、本人に問いただすなんてできないのだから。でもそれは自分で言うことじゃないし、こうやってときどき思い出して、思い出すことで似た過ちをひとつでも回避できるよう心がけるしかできないのだよだよ。できるだけ、折り畳まれた情報をひろげる努力を忘れないようにしなくてはなあ。

@metayuki
書きたいこと好きに書いてるだけの生き物。ときどき創作物が混入します。ハッシュタグでご確認ください。