他人事になった思春期

metayuki
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いい歳なので、自分がとくべつだなんてことは思わなく(思えなく)なっているのだけれど、若いころはその直情だけで呼吸できてるところがあった。あとになってみればそんな人はいっぱいいて、多分、ほとんど全員がそんなふうで、思春期というのは、とりもなおさず勘違いの季節だったはずで。

自分の子が思春期を迎えているいま、どんなもんかなあと興味深く観察している。世間的に「だれもが知ってる」というタイプの流行りはほぼ存在しなくなり、そうすると「主流」が消えてしまって、結果として「自分だけがとくべつなんじゃないか」「自分だけがおかしいんじゃないか」という感覚は得にくくなるのではないかと予想していたけれど、なんか、そういうことでもないらしいということを最近よく考えている。

うちの子も、たとえばある楽曲を指して「最近流行ってるよね」と言ったりする。いや、俺は聴いたことないが、と思うこともしばしばで、調べてみると、世間的に流行っているというのではない場合も多い。よくよく確かめてみると、自分が見ている界隈、tiktokとかyoutubeとかでよく流れてくるものが「最近流行っている」ことになっている。おお、エコーチェンバー。学校の友達もその曲知ってるの、歌ってるの、と確認してみると、ぜんぜんそんなことなかったり。

ちょいとネットを覗けば、自分が抱えている悩みと似ていたり、同じだったりの重荷を背負っている人を見つけることは、たぶん、難しくなくて、そこから始まる危うい関係みたいな事件についてはもう何年も前から問題にもなっているし、見聞きする機会もある。

自分の思春期を振り返ってみて、数多くの勘違いを重ね、何度も踏み外す失態を演じてもきたけれど、そのほとんどが独り相撲だった。それが良い経験だなんてことは言えないわけだけれども、その経験があってこその自分であることは百も承知で、さてさて、自分の子は同じ轍を踏むのか、それともいまの時代に調整済みの思春期を送るのか、どうなのだろう。

大人とか親の立場から思春期の人間の扱い方はわからないという言葉を聞く。そのとき「思春期」という言葉は一般化していて、なんなら普遍性も獲得していて、昔からそうだったのかなと勘違いしてしまう。でも多分そうではなくて、思春期は変化する時期であり、変化は外からの作用が大きく関係しているので、そのときの世の中との呼応で心の在り方が決まってしまう。僕が思春期の潜水生活を送っていたころはテレビゲームが一般化していた。僕の親が若いころにはなかったものだ。ウォークマンが普及し、ゲームボーイが誕生して、レンタルビデオで好きな作品を好きなタイミングに摂取できるようになった。僕の親の青春時代とは様相が違いすぎて、なにをどこまで制御すればいいのかよくわからなかったに違いない。

子供が好む音楽を僕も聴いてみて、好きになれそうなものを探したりするわけだけれど、そういう行為は世間から見れば若ぶってるとか大人になりきれないみたいに指摘されることもあって、まあ他人の目はさておいて、個人的には子の思春期を楽しんでいる側面もある。そういうこというと、おまえんとこはうまくいってるだけだろ、という意見も出てきそうで、ま、そういうことなのかもしれない。

この思春期の話を書こうと思ったのは自分の子に対する姿勢を再確認しておきたいからという理由と、あと、都知事選について思うところがあったからで、今回の選挙戦を遠目に見ながら、思春期の在り方と周囲の対応という話題と通ずるところがある気がしたんだよなあ。前段であるはずの思春期の件で長く書いてしまったので、選挙のことはもういいや。

@metayuki
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