大晦日である。
もう20年以上も昔、たしか雑誌『spoon.』だったと思うのだけれど、川本真琴が詩を寄せていて、その書き出しが「神である」だった。唐突な宣言だと思って驚き、のけぞった。モンスターエンジンが暇を持て余した神々の遊びを演じるより何年か前のことだ。ところが詩の2行目は「象がいて」と続いていて、改行によって冒頭の一行を「宣言」と僕が勘違いしていただけということが明らかになった。「神である象がいて」と、繋げて読めばそういうことになっていた。いや、まあ、それでも良い文章なのだけれども、勝手な勘違いで興奮していた僕にはもう象が神だろうがなんだろうがインパクトはなくて、残念な気分になってしまった。ということをいまだに覚えている。ということを「大晦日である」と書いて思い出した。
どうでもいい記憶の断片が、そんなふうにさまざま残っていて、きっと誰の記憶にも似たガラクタがあるのじゃないかと想像する。ガラクタ、という表現は失礼かもしれないけれど。
大晦日なので、今年の総括めいたことを書いた方がいいような誘惑もあり、だけどそうしたことが苦手な性格が災いして、またぞろこんな取り止めもない文章を綴っている。
もともと年始に目標を立てるとかいったことも不得手で、無理に捻り出した目標が上手く運んだ経験もほぼない。ひとつくらいあるだろう、という邪念が働いて「ほぼない」と書いたものの、じゃあ何か一例を挙げてみよ、と自らに迫ってみた結果、なにも出なかった。ヘイヘイ、そういうとこだよ、それっぽいことばっか書きやがって。すみません。
この「しずかなインターネット」は11月の中頃に始めて、当初は毎日書くつもりなどなかったのに、数日書き続けるうちに「書かない日」を設けることが面倒になった。書くことよりも、書かない日を「設ける」ことが面倒なのです。理由が必要になる気がして、ダメだ。勝手に書いてるだけだから、書かなくても全然まったく問題ないのに、なんか悔しい、書かなかった、ではなくて、書けなかった、と思ってしまいそうで、無理無理、だったら毎日なんか書くわ、の気持ちでやってきた。とりあえず年内は毎日書こう、とどこかのタイミングで考えた。その前にどこかで忙しくなるとか体調崩すとかで書けない日が巡ってくるだろうという予感もあったのに、毎日書いて大晦日を迎えた。
来年の目標も特には立てていなくて、今年の中途半端な時期に始めたことをあれこれ続けていくのだ、というあたりが目標と言えなくもない。
妻との会話の中で、来年やりたいことあるか、と問われて、その場の思いつきで「同人誌を作るのと、劇団を立ち上げるのだったら、どっちがいいかな?」と質問してしまい、同人誌はまだしも劇団なんて齧ったこともないから冗談以下の出まかせみたいなものだけど、「それなら『劇団』ってタイトルの同人誌にすればいいじゃないか」「それなら第一号のテーマは『旗揚げ』で、俺のペンネームは座付き作家にする」とひとしきり盛り上がった。無責任な妄想は楽しい。
同人誌という形ではないものの、文章講座で受講生に書いていただいた作品を、何かの形にまとめておきたいという気持ちはあって、方策を探っているところではある。神である。いや、文末に「ある」と書いてしまうとつい「神である」が出てくる。神ではない。
「あなたは神を信じますか?」という問いに「いいえ、まだ見たことがありません」と返すのはスガシカオの歌詞で、大好き。とはいえ僕は神を見たことがないし、どこに対してもちゃんとした信仰心を持つものではないけれど、自分を助けてくれたり、支えてくれたりする事象や物に対しては信仰に近い念を抱く。「神」という表現がどんどん低く、平たく、安いところに降りてきているのが昨今なので、人前でなにかを指して「神」と発言することはない。ないけど、内心でそう感じる瞬間はある。今年もそうした瞬間はいくつもあった。生きてみるものだ、と感じる瞬間と言ってもいい。
若いころからこの「生きてみるものだ」という感覚はあって、ただまあ若造が口にしても、という照れもあったのだけれど、さすがにもう公言してもいいお年頃ではないだろうか。
2024年も、いろんな物や事が「神である」と僕に向かって言ってくれますように。