シャルロット・ゲンズブールが、母親であるジェーン・バーキンを撮影した映画『ジェーンとシャルロット』を劇場に観にいけなかったのだけれど、Blu-rayが発売されていたり、デジタルも販売されていたりで、どっちか買っちまうかと思っている。
僕がシャルロット・ゲンズブールを好きになったのは中学生のころで、映画雑誌を買い始めてすぐのころだった。映画雑誌といえば『スクリーン』と『ロードショー』が二大巨頭で、僕は『ロードショー』を買っていた。
それまでも映画は好きだったのだけれど、雑誌を買うようになったのは中学1年生の冬だった。父が大分県は別府市に単身赴任しており、そこで冬休みを過ごすことになった。友達もいないし、親戚もいない。お年玉をもらったけれど、父が単身赴任で暮らす部屋にはファミコンもなかった。残るは読書。しかしせっかくお年玉があるのだし、ということで書店に向かい、いままで買ったことないものを買おうと決めた。映画、アニメ、音楽、それぞれに関する雑誌を一冊ずつ購入した。アニメと音楽については、その一回で終わり、継続購入には至らなかったのだけれど、映画雑誌は毎月買うようになり、映画情報をせっせと取り込むようになった。
雑誌には映画に出てきた台詞を解説するページなんかもあって、たとえば『ターミネーター2』の「ハスタラビスタベイベー」についてもそこで詳しく学んだ。
シャルロット・ゲンズブールを知ったのも『ロードショー』で、『なまいきシャルロット』の写真がすごくおしゃれだった。田舎の中学生男子にも「あ、これがおしゃれというものか」とわかるくらいに、おしゃれだった。
中学生時代の僕は芸能人にほとんど興味がなく、友人がアイドルとか女優とかにファンレターを書いたとか返事がきたとかで大騒ぎしている輪にも入れなかった。こりゃいかんな、ひとりくらい好きな芸能人を用意しておかなくては、という危機感もあり、よっしゃ、じゃあ俺はシャルロット・ゲンズブールを好きになる、と心に決めた。阿呆である。
考えてもごらんなさい、宮沢りえだ、西田ひかるだと騒いでいる男子たちに向かって「俺はシャルロット・ゲンズブールが好きだな」などとほざく小童の姿を。いや、思い出すだに毛布でもかぶって隠れたくなる。
ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブールの娘、といった生い立ちなどを知ったのはもうすこしあとになってからで、よくわからないなりにセルジュ・ゲンズブールの音楽を聴いてみたりもした。
大学時代、とても悲しいできごとがあった。サークルの友人たちとレンタカーで出かけた日のことだった。渓谷に遊びに行った帰りの車で、僕はひとり落ち込んでいた。車は夜の渋滞にはまり、進んだり停まったりを繰り返すなか、ブレーキランプの赤い光が視界を染めては、また暗くなった。
ラジオがついていて、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」が流れてきた。僕はひどくひどく辛くて、悲しくて、そこに覆いかぶさるように聴こえてきた音楽に腹を立て、それでセルジュ・ゲンズブールのことを嫌うようになった。
やつあたりである。わかってる。セルジュ悪くない。でもいまも嫌いだ、くそったれのセルジュ・ゲンズブール。
シャルロット・ゲンズブールはいまも好きで、あんなふうになれたら、と思うこともある。
妄想が過ぎると自分でも思うけれど、シャルロット・ゲンズブールのことは大好きなのにセルジュ・ゲンズブールを好きになれないという状況から、僕はセルジュ・ゲンズブールを「魂の義父」のように感じている。妻のことは愛しているのだけれど、義父とはどうも馬が合わないんだよな、という感覚。
あらためて文章にしてみると、どうかしてる。中学生のころから根は何も変わってねえな、と呆れるしかない。
じゃあ、ジェーン・バーキンのことを「魂の義母」と思っているのかといえば、いまのところそんな感覚はない。でもなあ、『ジェーンとシャルロット』観たら、またそんな勘違いを増やしたりするんじゃなかろうか。俺、阿呆だからなあ。