何年かぶりに寝坊した。朝7時には子供たちを起こしているのに、今朝は7時20分に目覚めて、不慣れな舞台転換のようにドタバタと朝の準備を進めた。昨夜、寝るのが遅くなったせいではあるのだけれど、夢の中でも気がかりな仕事をなんとか片付けようとしていて、ほとんど眠った気がしなかった。不思議なもので、濃密な夢を見て目覚めたときには、意識が鮮明で、気持ちはぐったりしているのに、体のほうはわりにすっきりしている。熟睡しているのなら夢もそんなに見ない気もするけれど、そういえば昔いわれていたみたいに「レム睡眠のときに夢を見て、ノンレム睡眠のときは夢を見ないんだぜ」というのは、どうやらまちがいらしい。ノンレム睡眠、つまり深い眠りのときにも夢を見ている。なるほど。逆に考えれば濃密な夢を見ているときは、ぐっすり眠れているということか。
「そんなあなたのために、開発しました、この薬」
出た。またこのパターン。
「眠る前にこの薬を1錠飲んでください。なんとこれは濃密な夢を誘発させる薬で、1時間の睡眠でおよそ8〜10時間の睡眠をとったのと同程度の休息を脳と体に与えてくれる、まさに夢の薬なんですよ」
「どういう理屈ですか、それ」
「夢は記憶を整理するための作用という説をご存知ですか? この薬は、その整理作業を効率化するものなんです。人間の脳にまかせておいては、濃密な夢を見れるかどうかは運任せ。駄目ですねえ、人間の限界はそこなんですよ。だから長い時間を眠らなくちゃいけない。それでこの薬です。脳の特定分野に働きかけて、その日の情報と古い情報の類似性を瞬時に見分けて、しっかりと筋の通った夢として見せてくれるわけです。たとえるなら、人が手書きでしたためる文章とAIが短時間で構築する文章の違いです。この薬を飲めば、はい、夢はあっという間に濃密に構築され、体もゆっくりと休まってしまう。睡眠時間を1日1時間に短縮できれば、どうなります? そう、自由時間が6時間とかできるわけです」
「副作用とかは?」
「ありません、だいじょうぶです。試しに飲んでみてください。さ、こちらにベッドも用意しましたから、ぜひ、はいどうぞ」
そんな薬があったら飲むだろうか。短い睡眠時間で生きていけるのは、まあ、いいことなのかもしれない。でもそれよりは、どんな夢を見れるのかが気になって飲みそうだな。あるていど理路の整った夢は、わりと好きだ。たとえそれが仕事に追い詰められる系の内容であったとしても、目覚めたときに、別世界を覗けたような気がして、なんというか、寝てたのに起きてたみたいで楽しい。
だけど副作用なし、というのが本当かどうか。睡眠時間の長さは人の生命活動にも深く関わっているだろう。夜遊びが好きな人間でもなければ、夜に起きていられても、たいして楽しくないかもしれない。受験生はどうだろう。兵隊とかはどうだろう。そんな薬があったら、どのくらいの人が利用するだろう。
「いやもう皆さん飲まれてますよ。正直なところ、こちらのお宅が最後なんです、訪問させていただくの」
「いくらですか」
「これね、国の助成金が出るんで、いまなら70%オフです」
うーん。そっちに話が転がるとありきたりな陰謀論になってしまいそう。
「とりあえず、ひとつ飲んでみて、それで試してみてください」
「わかりました。じゃあ、いただきます」
「あ、飲みましたね。よかった。じゃあベッドに横になってください。実はですね、いま飲んでいただいたの、覚醒のための錠剤です。あなた、いま、眠ってます。いま見ているこの場面が、濃密な夢の終わりに用意された出口なんです。あなたもうこの薬の服用をはじめて7年目ですよ」
「え、これが夢なんですか?」
「そうです。このやりとり、毎晩やってます。濃密で効率化された夢なんで、終わり方を本人任せにはできないんです。夢の終わりはいつもこれです。でもね、夢の最後のほうって、みなさん覚えてないんですよね」
「そうなんですね。あ、なんか眠くなってきました」
「どうぞどうぞ、目を閉じたら、目が覚めますから。じゃあ、また明日」
現実と思っていたけど、それ夢です、系のオチもまあまあ既視感。この設定だったら、「効率化の結果、排除されてしまった『脈絡のない夢の断片たち』が人の共有意識の底に溜まっていって、そいつらが自分たちの居場所を取り戻すために現実世界に出てきて、夜な夜な、人の頭に入り込んでいく」みたいな流れの方が好きだ。効率的に眠ることに慣れてしまった人々は、わけのわからない夢を見てしまうことと、睡眠時間が長くなってしまうことで生活に割り当てていた時間が足りなくなってしまってパニックに陥る。なんだ、睡眠が短くなったぶんだけまた忙しくしてるんだね、みたいな世界。
よし、今夜は早めに寝よう。