靴 (創作)

metayuki
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 玄関に知らない靴があった。ひとりぐらしのワンルームで、訪ねてくる人物もいない。目を覚ましたのが午前七時。朝のルーティンをこなして着替えも済ませ、出勤前のトイレも終えて、さあ、というところで靴に気づいた。普段、そこにあるのは通勤用の革靴、普段履きのスニーカー、それに黒いサンダル、その計三足だ。スニーカーが一足、増えている。自分のスニーカーは白いコンバースのハイカットで、増えたのは紺のアディダスだった。背中に強張りが生じて、部屋を振り返った。誰かいる気がしたのだが、誰もいなかった。ひとりぐらしで、訪ねてくる人物もいないのだ。それでも念のため、浴室とトイレとベランダとベッドの下も確かめてまわった。ものの一分とかからなかった。もう一度、窓の施錠を確かめ、カーテンも閉めた。遮光カーテンなので部屋が深いところに沈んだように暗くなった。増えたスニーカーの処遇に迷い、すでに出発の予定時刻を過ぎていることにも意識が働いて、ひとまずそのままにして出かけた。バス停までの道すがら、誰かうちに来ただろうかと考えた。たまに酔っ払うことはあるし、記憶が一部飛んだ経験も何度か味わっている。しかしゆうべは酒を口にしていない。仕事からまっすぐ戻り、簡単に食事を済ませ、眠るまでゲームに熱中していた。帰宅したとき、玄関に異常はなかった。狭い玄関だから靴が増えていればその時点で気づいたはずだ。となると眠っているあいだに靴が持ち込まれたことになる。泥棒が侵入して、帰りに靴を履き忘れたとか。まさか、と思うが、なにもない場所に忽然とスニーカーが沸いて出たという推理よりは、泥棒説のほうが筋が通っている。

 帰宅してドアを開けると、アディダスはそのままに待っていた。気持ち悪さを抱えたまま、室内から盗まれたものがないかを確認した。カード類も通帳も印鑑も現金もあった。パソコンをはじめとする家電製品も消えてはおらず、ほかに金目の品もない。泥棒説を採用するとして、なにも盗らず、逆に靴を置いていく、というのはさすがに無理がある。ではほかに妥当な仮説があるかといえば、思いついたのは嫌がらせ行為くらいのものだ。勤務先でこのところ衝突が増えている。若手のなかでもずけずけと意見を述べるものだから煙たがられている。その自覚はあっても、だからといって引き下がるのも違う。社内では嫌がらせらしい嫌がらせは受けていないが、先輩たちの目線が毒混じりなのは感じている。それと靴とが結びつくわけでもなく、ひとしきり考えたあとで、アディダスをゴミ袋に入れてアパートのゴミ捨て場に出した。

 数日後、やはり朝に靴が増えていた。今度は緑色のプーマだった。さすがに怖くなった。今度は即座に捨てた。自宅アパートのゴミ捨て場に置くことさえためらわれ、遠方まで持っていって、商業施設のトイレのゴミ箱に捨てた。

 ネットで検索してみたが靴が増えるなんて事例は見当たらず、警察に相談すべき事案なのかも判断できなくて、地元の友人に連絡した。カメラを設置して撮影しろとアドバイスを受け、使っていなかったスマホを監視カメラがわりに玄関に置いてから寝た。朝、靴は増えていた。録画映像を確かめたが、なにも映っていなかった。靴を持っていって警察に相談したが、心配されたものの、信じてはもらえなかった。靴が実在していることだけは警察も認めてくれた。ならばなぜ映像になにも映っていなかったのか。

 地元の友人を呼んで数日泊まってもらった。その間に靴が増える現象は起こらず、友人が帰ったあとで待ちかねていたように靴が現れた。黒いナイキだった。まだやっていないことがある、という事実はしばらく前から頭にあった。ナイキに足を入れてみると、ぴったりだった。そうなることはずっと前からわかっていた。

 それからの私は誰とでもうまく交流でき、社内でのぎすぎすした雰囲気も解消され、人生をスムーズに歩めるようになり、同居人もできて、もう二度と靴が増えることもありませんでした。街で他人の足元を見ては、この大勢のなかにはきっと自分のではない靴を履いている人もいるのだろうと想像して、安堵するようにもなりました。

@metayuki
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