ぎゃん行って、もふ、て曲がって。

metayuki
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子供と会話をしていると、借り物の言葉の多さに気付かされる。あ、これは友達が言っていた言葉だな、とか、アニメから仕入れた言い回しだな、とか。自分にもそういう時期が当然あった。そしてそれを「借り物」なんてふうにはちっとも思っていなかった。

熊本で育った僕のまわりでは、「わいちゃ」という言葉がよく用いられていた。なんとなく、驚いたときなどに「わいちゃ」と言うのだと理解していて、小学生のあいだは僕も口にしていたと思う。さっき思い出して検索したら、熊本弁で「すごい」の意味だそうだ。そうだったろうか。相手を冷やかすときにも「わいちゃ、わいちゃ」と囃し立てていた記憶がある。褒める意味での「すごい」という感じではなくて、なんだろう、「ひゅーひゅー」くらいのニュアンスだろうか。

なにが言いたいのかというと、借り物の言葉は、つきつめていくと、意味がよくわからないままに使っている言葉である場合が多い。特に子供においては。

それが成長の過程だと思うので、だんだんと借り物が減っていく様を見届けられるのは楽しい。でも子供にしてみれば、うざい父親だな、という面が大きいだろう。さらりと言ったことに対して「なにそれ、ほんとにそう思ったの?」と問い詰めたりするのだから、面倒なことこのうえない、だろう。「みんなが言ってたんだけど」という導入には「みんなって誰?」と確かめたりする。ああ、やだやだこんな親。わかっているから我慢するのだけれど、ときどき出てしまう、やな親としての自分が。

僕は鹿児島生まれの熊本育ちで、鹿児島弁も熊本弁も聞き取りはだいたいできるものの、自分で話す際にそれら方言を駆使することができない。駆使できないということは、理解も浅いということだろう。東京で働いていた時代に、たまに「熊本弁でしゃべってよ」と言われても口ごもるしかできなかった。断片的に「わいちゃ」などと言ってみても、いかにも借りてきた言葉という響き方にしかならなかった。

高校時代に、新卒で赴任してきた体育教師が、僕ら男子に向かって「東京行ったら熊本弁を使え、もてるぞ!」と明言したことがあった。その先生は東京の大学に通っていたそうで、もてるエピソードとして女性とタクシーに乗ったときのことを語った。

「タクシー乗っとるとき、運転手さん、そこん道ば、ぎゃん行って、ぎゃん行って、そん先ば、もふ、て曲がってくださいって言ったら、女の子が、なにそれかわいい! 犬みたーい! て喜んだけん」

これ。これがネイティブの底力。

ちなみに熊本弁で「ぎゃん」とは「このように」を、「もふ」は「勢いよく」みたいなニュアンスを意味する言葉である。思春期も満ちてきた頃合いの僕ら高校生男子は表向きは「そんなんでもてるかよ」という態度だったけれど、内心では「それでもてるのか!」と色めき立っていた。

東京で「熊本弁でしゃべってよ」と頼まれたとき、この「ぎゃん行って、もふ、て曲がって」を拝借したことはあるけれど、ぜんぜんもてなかった。犬みたーい、とすら言われなかった。よくよく考えてみたら、体育教師は外見がパグ犬ぽかった。

(取ってつけたようなオチ!)

@metayuki
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