今週いっぱいでやるつもりでいた仕事が、明日中に提出、ということになったので、ほかのいくつかをほっぽりだしている。とはいえ、集中が長く保つタイプではないので、ちょいちょいと気分転換を挟んでいる。コーヒー飲んだり、室内干しの洗濯物を入れ替えたり、アイス食べたり、「3月9日」を歌いながら風呂掃除したり。もう無理、となる前に自分の意識をべつの方角に向かせているわけで、赤ちゃんをあやすのと変わらないなと思った。
妻は集中力が長く、深く、保つタイプで、十代のころには日が落ちて室内が暗くなったことにも気づかず絵を描いていたそうだ。いいな、うらやましい、その集中力を私のアビリティとして装着可能にしてください(FF5、まだ途中だぞ)。しかし、人の能力は交換不可でありんす。
だいたいなにをやっていても集中が途切れるのは、アトピーのせいかなと思っている。実際はどうだか。その昔、アトピーの子は集中力がない、なぜならひっきりなしに体を掻いているから、と言われた。根に持っている、というわけではないけれど、でもそうなのかもしれない。ええ、ええ、どうせそうですよ、私の集中力はショート動画程度のものですよ、と悪態をつきそうになる。
でも、これまでになんどか本を読んでいて電車を乗り過ごしたことはある。嬉しい。日常生活でいえばこれは失敗なんだけど、おもしろい本を読んでいて、ふと顔をあげたときに降りるべき駅を通り過ぎてしまったことに気づいた瞬間、しまった、という気持ちよりも強く、速く、うれしさがこみあげてくる。困るんだけど。時間に遅れそうなんだけど。つぎの駅で階段をかけあがったり、かけおりたりして、向かいのホームまで急がなくちゃいけないんだけど、でも、嬉しい。そんなに深く物語に沈んでいた自分がありがたく思える。
さかあがりできない子が、なにかのはずみでくるりとまわっちゃったみたいな感じだろうか。だれに言っても信じてもらえないかもしれないし、もう二度とまわれないかもしれないし、それくらいでだれも褒めてもくれないかもしれないんだけど、本人としては極上のうれしさなのだ。
日常は、そういうつまんないことでまわっていて、消耗戦の長期戦を強いられるときにはたくさんのつまんないことを駆使して自分をちょっとずつ喜ばせる。さすがに本を読むことはできないけど、そういやさっきYouTubeでホラー映画のショートショートは観たよ。楽しかった。そしていま、この文章をばばばばばばと打っている。これもまた楽しい。小躍りするようなものだ、僕にとっては。
さて、仕事に戻ろう。