スマホをiPhone12miniからiPhone15に変えた。いくつかタイミングが重なってのことではあるけれど、このところ、いわゆる老眼が進んでいるらしく、近くの文字がずいぶんと見えにくくなってきており、miniの画面じゃもう無理かもしれないと弱腰になったのが機種変更のいちばんの理由であります。
やだなあ、老眼だってよ、と思うものの、どういうふうに嫌がっていいのよくわかっていない。
そもそも視力が悪くなったことがなかった。ファミコンばっかやってると視力落ちるよ、と注意されまくった子供時代なのに、むしろ視力があがって、両目ともずっと1.5のまま生きてきた。いまも視力が落ちたという実感はなく、手元の小さな文字へのピントがあわなくなってきたので、はいそれ老眼、と指摘されたことを鵜呑みにしている。老眼鏡なるものを店頭でいくつか試してもみたものの、あれは度が強すぎで吐き気を催すので、そこまでは進行していないという理解でいいのか、どうなのか。
さておき、iPhone15になって、まずサイズが大きい。miniよりふたまわりくらい大きく感じる。指の届かない範囲がでてきたことも困ったものだけれど、画面に目をやったとき、どこを見ていいかわからず往生する。目が忙しい。いままでの感覚で画面を眺めたところで、全体が視界に収まる気がしないのだ。あっち見て、こっち見て、それで全体を把握する。対スマホの視野が狭くなっている、ということだろうか。
何年も前だけれど、「スマホの普及に伴って近視の人が増えている」という報道へのカウンターとして「それは人間がスマホにあわせて進化してるということではないか」との意見を見かけた。見方を変えればそういう言い方も有効になる。遠くを見る必要がなくなったからね、というわけだ。似た話で、最近は誰も星を見なくなった、きれいなものはぜんぶ手の中に収まっているからね、といった類の小話も一時期よく見かけた。ふむ。なにを言ってもかまわない。どうせ、みんながみんな膝を打つなんてことはないのだし。
ところで自分のiPhone歴を振り返ってみると、4→5→6plus→X→12mini→15で、これが6代目ということになるみたいだ。Xのときは電池が膨張して、本体上部が倍くらいに膨れ上がり、中から異形のモノが這い出してきそうな状況になっても、なおしばらくは輪ゴムをぐるぐる巻にして使っていた。もうあと3ヶ月で新機種発売だしなあ、と、なんとかそこまでの延命を試みたのだけど、突然に電源が落ちるようになって仕事に支障が出たため、どうしても機種変せざるを得なかった。12mini、すごく好きな端末だったからいいんだけど。Xが膨張して出てきたのが異形のモノではなく、予想外の出費だったという怖い話でした。