外出先で、高齢の女性が折り畳み傘を落としたので、拾って、数メートルほど追いかけて、「傘、落とされましたよ」と差し出したら、無言で奪うように取られて、そのまま去っていかれた。感謝しろ、とは思わないけど、こちらの方が虚を突かれた気がして、きょとんとしてしまった。でもそれは、あちらもそうだったのかもしれない。突然、横から傘を突き出されて、びっくりして受け取った。僕から離れたあとで事態を理解して「御礼のひとことでも言えばよかった」と思ったかもしれない。などと考えると、やっぱりおまえ御礼を言われたかったんじゃないの、という自問が意地悪に湧いてくる。いや、そういうわけじゃない。自分がとっさに言葉が出てこないので、あの人もそうだったかもなと思った、それだけの話だ。
これは前にもどこかに書いたかもしれない。近所の弁当屋に買い物に行ったおり、レジ待ちの順番が来て、いざ注文、というタイミングで店員さんから「◯◯さんのお父さん」と呼ばれた。メニューを見ていた僕はびっくりして顔をあげた。保育園でときどき挨拶をする女性で、子の友達のお母さんだった。注文するつもりでいた僕は、突然のことになんと返せばいいか考える暇もなく、とっさにこういった。
「ああ、そうだ」
なにかを思い出したときに告げるトーンで「ああ、そうだ」と口にした。偉ぶって「ああ、そうだが、それがどうかしたか?」と聞くトーンではない。なにを言うつもりだったか失念してしまい、不意にそれを思い出したときの「ああ、そうだ」。どっちにしても「◯◯さんのお父さん」と話しかけられて返す言葉じゃない。
いま思い出しても恥ずかしくなる。なんだ、「ああ、そうだ」って。せめて「あ、どうも」だろが。
こういう経験は無数にある。
講座とか授業とかでも延々となにかしゃべるわけで、そうなると、話を途切れさせないために言わなくてもいいような話題を突っ込んでしまうことも少なくない。で、帰宅してから落ち込む。なんであんな話をしてしまったんだろうと省みて、胸が窮屈になっていく。
聞いている側からすればたいしたことではない(と思いたい)。そんな慌ててしゃべりたおさなくても、もっとどーんと構えて、必要なことを落ち着いて語ればいいのに。わかってる。自分でもそう思う。でも無理。だって話すの苦手だもの。
ある時期、いっそ原稿を用意したほうがいいのでは、と考えて、90分の講座のための全文を事前に書いたことがあった。ここにぱーっと文章を書くみたいに、なんの苦も無くすらすらと書けた。やったぜ、と思った。これを読めばいいじゃん、と信じて疑わなかった。
(もうわかっていると思うけど)ぜんぜんうまくいかなかった。書くことと話すこととはまったく別の行為なのだ。反復横とびしながら前に進めないでしょ。そういうことだった。
もう何年も前のできごとなのだけれど、もし機会がめぐってきて、僕にその度胸があったなら、子供の友達のお母さんに「あのとき僕が『ああ、そうだ』って返したのおぼえてますか? おぼえてたとしたら、そのときどう思いましたか?」と質問してみたい。でも忘れてるだろうな。忘れててほしいな。忘れてくれ、頼むから。