専門学校で、学期末の課題への審査を行ってきた。課題はほかの講師が提示した内容で、僕を含む数名の講師が審査員を務める、という流れ。1年生と2年生の作品、ぜんぶで30名分くらいをひとつずつ確認して、点数とともに講評を書いて、とやっていたら2時間近くを要した。
審査する側にまわるようになって何度も思い返すのが、町田康さんがなにかの文学賞のコメントで書かれていた「真面目に書かれた作品も真面目に読む、ふざけて書かれた作品も真面目に読む」という宣言。審査する対象が多ければ、なかにはふざけているというか、雑に片付けられている、というものも混ざっていて当然である。しかし、それが真実かどうかはわからない。特に創作を含む場合、なにが本気で、なにがふざけているのか、それを客観的に決めることはできない。僕の感覚に合わないだけかもしれないのだから、そりゃもう真面目に取っ組み合うしかない。しかも、自分の目線と、客観的な目線と、その両方を使い分けることも必要で、そうそう簡単に「これは良い」「これは駄目」と区分していくなんて無理なのだ。
学生はいつも課題に追われている様子で、どういうデザインを手掛けているのかはほとんど知らない。ゆえに、今日の審査で誰がどんなデザインをつくっているのか、なにが得意で、なにが不得意そうなのか、といったことを垣間見れたのはとても良い経験だった。
見事にぐったりと疲れたけれど。