バランスをとるための容器

metayuki
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宮崎駿の監督作でいちばん好きな作品は、という質問には『ハウルの動く城』と答えている。なぜ好きかといえば、大小さまざまな理由があるものの、全体的にぶっこわれている感じがするのと、ハウルが星を飲む場面がいい。あと、場面としては、ハウルがソフィーの手を取って宙を歩くように進む場面が大好き。あと、あと、と好きな場面がつづいて出てくるのでこのへんで。

なぜハウルの話題を出したかというと、あれも戦争が軸になった物語だったから。いや、軸というほどではないかもしれない。後半になって戦争がぞわっと襲いかかってくるような構成になっていて、超然とした態度のハウルが否応なしに戦火に絡んでいく流れがあり、物語を締めるためにあっけなく終戦への筋道が確立されてしまう。その展開はどうなのかという批判もあろうけれど、でも、戦争は誰が始めて誰が終わらせるのか、という問いがそもそも成り立つのかということを考えるには、いい話なのかもしれない。

宮崎駿と戦争を切り離しては考えられない。でも、あまり表立ってそういう話題は出てこないようにも思える。そんなわけあるか。『風立ちぬ』とか『紅の豚』とかは戦争抜きじゃ絶対に語れないじゃないか、という向きもあろうけど、現実には、そんなわけあったりする。いや、でも、作品以外ではけっこうな頻度で戦争について述べているぞ、駿。とはいえそれを日テレが大々的にフィーチャーして特番組むなんてことはやってない。やったことあるのかな。

違う。宮崎駿について語りたいわけじゃない。

とても単純化していうと、特に僕ら世代の戦争観というのは、反戦的な視点に固定されてしまっていて、それが悪いこととは言わないけれど、でもそれだけじゃ駄目じゃないかという気持ちは常にある。しかし、自分の子が夏の平和教育を受けてきたあとなんかに自宅でも戦争について話したりなどして、そんなときついつい自分が受けてきた教育さながらに、平和が大事なのだ、戦争はよくないのだ、ということを説いていたりして、そうじゃない側面からの考えを追加で伝えたりする。

いま、日常で触れる言語は単純化されたものが多くて、そこでも平和の尊さが優勢だったり、逆に、戦争を直視せよという物言いがあったりで、その手のワードは一目で飛び込んでくるから無視もできない。そんな率直な言葉ではなくて、思索のある文章を読みたいと思えば読むこともできるのだけど、短くて強烈なワードを浴びることで撃ち込まれた印象を薄めるためには、けっこう長くて複雑な文章にあたる必要がある。バランスをとるのが難しい。

物語というのは、バランスをとるための容器のような側面がある。主義主張を訴えたいだけならば物語の形をとる必要はない。物語に仕立てるのは、そこに問いがあることを知らせたいからだと僕は思う。

ハウルの過去を知ったソフィーは、未来で待ってて、と叫ぶ。待てる未来が残っているうちに、できることを問われている。そういうところも好きな理由。

@metayuki
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