所持金の妥当性

metayuki
·

中学生の子供が友達と遊びに行くにあたって、いくら持たせるのが適切か、という問題に頭を悩ませた。うそ。悩ませた、というほどのことでもない。近所ではなく、すこし離れたところまで出かけるというので、普段とよりも多めに持っておくほうが安心だろう、であれば具体的にいくらぐらいが妥当なのか、まず交通費を調べて、それに昼食代も含めたうえで、遊んだり買い物したりを追加すると、といった具合に積算していった。なんだかんだ5,000円程度かなと見積もったものの、それが「妥当」と呼べるかは不明のままだった。

「妥当」ってなんだろうか。

交通費は仕方ないとする。という考え方だって「妥当」じゃないのかもしれない。自分が中学生のころは自転車通学だったこともあり、どこへ遊びに行くのもだいたい自転車だった。街なかへ行けば駐輪場を使う必要があったものの、これも無料で利用できた時代だから、お金の心配はしなかった。金を払って遊ぶといえば、せいぜいゲームセンターとか。ボウリングなんかもあったかもしれないけれど、ボウリングに初めて行ったのは高校生になってからだ。友達と遊ぶのに1,000円あればどうにかなった。

物価も違うのよ。そうかもしれない。でも、往復で1,000円近い交通費を使うようなところに遊びに行く必要ある? という考えだってあるだろう。それを妥当とする文化もある。

僕が高校時代の話なので、これも現代とは事情が違うが、この手の問題に出くわすたびに、後輩の発言を思い出す。「私、財布に1万円札が入ってないと、怖くて遊びに行けないんですよ」と聞いて、僕は驚愕した。財布に万札が入っているほうが珍しかったし、遊びに行って何か食べたりしても1万円近い出費にはならないだろう。服とか買うの? それならまだわかるけど、でも友達と服とか買いに行く? 行くか。俺も行ってたわ。古着屋。安い掘り出し物を探して、だけど実際に購入までには至らない。「じゃあ先輩は何にお金使うんですか」と聞かれて、本、と答えて「本とか買わなくても読めるじゃないですか」と言われたりして、まあねえ、とやりこめられてしまった。

まあねえ。

大学生になってアルバイトをするようになってからも、財布に1万円札が入っていることのほうが少なかった。遊びに行ったり、デートしたり、そういう経験のなかでお金の使い方の人それぞれ感を学び、価値観のずれに右往左往した。

昨日、気づいたら財布のなかにお札が一枚も入っていなくて、キャッシュレスを使うようになってときどきそんなふうになる。毎回ではないものの、お札レスの財布に気づいたとき、後輩の顔がちらりとよぎることがある。

こちらは相変わらず現金を持たなくて、本ばかり買ってます。

@metayuki
書きたいこと好きに書いてるだけの生き物。ときどき創作物が混入します。ハッシュタグでご確認ください。